チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

オウム真理教麻原彰晃死刑執行に思う

オウム真理教教祖麻原彰晃はじめ、7人の死刑が執行された。
死刑囚のうち、末端の実行犯ではなく、まずは幹部的役割を担った人物から、という印象。

つい先日、所蔵のオウム関連本を突然読み直したくなって何冊か読んだばかりだったので、個人的には特に感慨深いタイミングだった。

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さてそんなオウム真理教を個人的思い出から振り返ってみる。

当時連合赤軍事件を追いかけていた俺はこの事件に何か通ずるものを感じて、何故こんな事件が起きてしまったのか異常に興味を持って、事件の渦中、近所のサティアンショップに現役信者の話を聞きに通ったりしていた。
もちろん入信などする気は更々なく、単純に信者はどういう気持ちで過ごしているのか聞きたかったから。
よく話してくれた信者は、ブルーハーツの好きなごくごく普通の明るい女の子だった。
入信するに至った経緯も、特に悪びれたり隠すような事無く、ありのままにざっくばらんに話してくれた。
一度だけ名前を聞かれたが、言いたくないと言うとあっさり了解し、その後も何度か通ったが、勧誘されるようなそぶりも全くなく、そのうちショップは店を閉じてしまった。
なので結局こちらの知りたかった事はよく分からないままだった。 

当時はよくわからないままだったが、その後麻原の著作やその他の考察本を読んで、なんとなく大まかな教義等は知ることができた。

事件を起こすに至った要因の一つは、タントラヴァジラヤーナの教え。
詳しくここに書くのは避けるが、要するにこの世で悪業をなした人は、グルの導きによってその魂を天上界にポアすることができるというもの。
これによって、グルが認めさえすればその人の魂を奪ってもそれは罪にはならず,逆に善業になるという理論。
なので信者たちは人を殺すにもさほどの罪の意識は感じる事は無かったと思われる。

これは根本的に現代社会のルールに真っ向から反する。
しかし信者たちに取ってはそれが正しいルールなので、全く社会と相容れる事がない。
イスラム原理主義者の聖戦理論による自爆テロにも通ずるものだ。

 もう一つはマハームドラーの理論。
これは、グルが弟子たちに与えるいわゆる「試練」のことで、グルに一見無茶な反社会的な事を命じられても、それには深い理由があり、その試練を乗り越え成就する事でより高い意識での解脱へと近づくことができる、というもの。
これによって信者たちは社会的には疑問に思うような事でも、率先して行動する事が可能になってしまった。
そしてこの教えは必然的に周囲の者がグルの考えを先回りして「察する」ことが恒常的になり、信者たちは競ってより過激な方向へとエスカレートしていってしまったのがこの事件だと言えるだろう。

 この二つの理論の元で、あの一連の事件は起こされた。

そこには高度に洗練された洗脳技術があり、その過程としてクンダリニーの覚醒といういわゆる「神秘体験」へのプロセスが科学的にカリキュラムとして体系づけられ、オウムに入信すれば大部分の人がこの体験をすることができるという事でそれは強烈に根拠づけられていた。

これが当時オウム真理教が多くの信者を集めた理由だったと思われる。

当時の一連のオウム真理教事件の宗教学的見地からの考察は、恐らくこういうことであろう。

しかしどうしても疑問が残るのは、いわゆるオウム事件としてその後裁判となった事例はあくまで氷山の一角で、その裏にはいまだに解明されていない大きな謎が数多く残っている事。

大部分の事件を主導したと言われる村井とは一体何者だったのか?

北朝鮮やロシアとの関係、第7サティアンは本当にサリン生成プラントだったのか?など。

それ以外にもひっそりと葬られたもっと大きな事があったような気がしてならない。
その謎が解明される日はもう来ないのかもしれない。

自分がオウム真理教連合赤軍に共通するものを感じていたのは何か。

随分このテーマについて長いこと考えてきたが、最終的に辿り着いたのは、誤解を恐れずに言えば「若者の正義感」なのではないかということ。

どちらも信者や兵士たちは真っ直ぐな正義感を持ち、その正義感をくすぐられ、全く疑うことなく自らの信じる「正義」を、手段を選ばず貫こうとした。

この世の中に真っ直ぐな正義ほど恐ろしいものはない。
正義の価値観なんて世の中人の数だけそれぞれ存在する。
歴史上ほとんど全ての争いごとが、そんな「正義」と「正義」のぶつかり合いだった。
ちゃらんぽらんくらいがちょうどいいのだ。

4年前に訪れた麻原が逮捕された第6サティアン跡地は、ただの草っ原と化していた。
そこに過去の記憶は生きているだろうか。
兵どもが夢の跡。

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J☆Dee'Z(ジェイディーズ)と出会ってその後

今年の4月にJ☆Dee'Zと出会ってしまい、その衝撃と感動を記した。

それから2ヶ月が経ったわけだが、更にどっぷりと身も心も浸かってしまっている。
来る日も来る日もCDに付属しているライブDVDはもちろん、Youtubeで関連動画を隅々まで漁る毎日。
結成当時からの過去映像や、ラジオ出演などもほぼ網羅し、結成からここまでの時系列や、彼女たちそれぞれの人となりやひたむきな姿勢を把握することができた。
最初は楽曲の良さから入ったのだが、今ではメンバー3人それぞれの魅力にすっかり入れ込んでいる。
本当にいいグループに出会うことができた。

上の記事を書いた2ヶ月前はまだ音だけではそれぞれの声を判別できなかったが、今ではもう完璧。
改めてそれぞれの歌の特徴と印象を列挙してみる。

まずはMOMOKA。
彼女の声量のあり伸びのある中音域と透き通るような高音のファルセットはハーモニーの芯となっており、ライブでの安定感も抜群で、J☆Dee'Zのサウンドを特徴づける核となっている。

そしてNono。
ハスキーでコケティッシュな高音から凄みのある迫力の太い低音まで、全ての音域の声質が魅力的で惚れ惚れする。
そしてその弱冠16歳とはとても思えない抜群の歌唱センスと並外れた表現力は、J☆Dee'Zの歌のレベルを引き上げている最大の要因。将来ソロシンガーとしても大成するだろう。

そしてAmi。
彼女の不器用ながらも真っ直ぐに魂を込めた太い声はとても魅力的で聴く者の心を打つ。
去年まではまだ歌いまわしに生硬な所があった(これはこれで魅力の一つだった)が、去年の後半から今年にかけての急成長ぶりは目覚ましいものがある。
持ち前の魅力的な声に更に堂々たる表現力が加わり、他の二人と堂々と肩を並べてグループとしての歌の実力は鉄壁なものになってきた。
まだまだ成長途上真っ只中なので、今後の更なる成長が本当に楽しみ。

そんな3人の生み出すハーモニーは日進月歩の勢いで日々進化を遂げている。
それはDVDやYoutubeで去年の3月→9月→今年の3月のワンマンライブの映像を追うことで確認できる。


2017.3.20

 


2017.9.22

 


2018.3.9

 この『ひとひらの涙』での全身を使って激しく動いても一糸乱れない3声ハーモニーかと思えば突然現れる「おそれないで行こう〜」のユニゾンの力強さときたら!
そしてAmiの魂のこもった「スマホの広告で見た〜」の後半でNonoがハモってくるCDにはない展開は何度聴いても鳥肌が立つ。

J☆Dee'ZはCD音源も非常に完成度が高いが、ライブだとそこにダンスが加わり更にエモーショナルで素晴らしい。同じ曲でも、ライブを重ねるごとに表現がブラッシュアップされていくのは、リトグリなどと同様、実力派グループの特徴だろう。

 J☆Dee'Zの歌に心打たれるのは何故か。最大の理由は口を大きく開けて言葉をハッキリ明瞭に発音していること。
更に歌詞をしっかり読み込んで3人それぞれの解釈で表現して伝えようとしている強い意思を感じる。ボーカルディレクションの確かさがうかがえる。

彼女たちの場合はそれだけでなく、子供の頃から培ってきた激しいダンスと両立してのこの歌なので、その努力は並大抵のものではないはず。

ラジオやネット記事などでよく分かるのが、制作にあたって彼女たち自身が楽曲選びの段階から積極的に参加し、何度も何度もミーティングを重ね、歌詞をとことんまで読み込み、何度も録り直しを重ねてじっくり時間をかけて納得のゆくまで作品を作り込んでいるようだ。

それどころかダンスの振りの細かい部分の修正から、MVの編集、ライブの構成からリハのスケジュールの組み方に至るまで、かなりの部分が彼女たちの主体性に任されていることが窺える。
彼女たちはなまじルックスがいいものでアイドル的見方をされることも多いと思われるが、その姿勢は与えられたものをこなすアイドルのそれではなく、完全にアーティストのものだ。
さすがに子供の頃からこの世界で揉まれているだけのことはあり、随所に見て取れるこの年齢のグループには珍しいほどの非常に高いプロ意識には目を見張るほかない。

 そしてこの3人のバランスもいい方向に作用している気がする。
ラジオなどで聴いた限りの印象だが、目的意識が高く率先して練習計画などを立て、会話などでも関西人らしくボケ・ツッコミどちらもこなしてリードしていく実質リーダー的役割のAmiと、突拍子もない発想をするセンスの塊のような自由児Nono、そんな意見のぶつかることの多いこの二人の間に立つのが常に笑顔を絶やさず育ちの良さを感じる人当たりの柔らかなMOMOKA。
実際にはもっと複雑なんだとは思うが、ファンに向かって見せている印象ではこんな感じで理想的なバランスを保っている気がする。

 4月にJ☆Dee'Zを知ってから、生のJ☆Dee'Zを観る機会は意外に早くやってきて、5月にファン向けのイベントがあったので早速行ってきた。
昼の部と夜の部があったのだが、想像通りとても良かったので結局両方参加し、更には夏のツアーにも参加することが決定。
だってこんな映像を観せられてしまったら次は絶対生バンドでのライブを観たくなってしまうじゃん!

 そして7月には自分がファンになってからはじめてのシングル『未来飛行 / 流星のパノラマ』が発売されるのが今から楽しみ。

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 日々目覚ましい進化を遂げているJ☆Dee'Zの更なる飛躍に期待して、これからも注目し続けていきたいと思う。  

伊東潤『西郷の首』

 

西郷の首

西郷の首

 

大河ドラマで『西郷どん』放映中ということで、大好きな作家のこのタイトルを見てタイムリーだと思って読んでみた。
といってもこれは西郷のお話ではなく、幕末維新の波に乗り切れなかった旧加賀藩のお話だった。

時代は維新から、西南の役、そして紀尾井坂の変での大久保利通暗殺へ。

志を同じくする親友同士が、そんな激動の時代を経て経て最後は全く正反対の運命をたどる。そこに絡み合う薩摩の巨人西郷隆盛大久保利通

これまであまり語られることのなかった加賀藩の悲哀と不平士族たち。
読み応えあり。

サッカーW杯

今までサッカーは基本的にW杯と五輪の時にチラッと観る程度だったけど、今回のW杯は中継が自分の作業時間とピッタリ重なるので、仕事場のテレビで流しながら何だかんだここまでほぼ全試合観ている。
サッカーは実況消して画面だけで観てもそれなりにわかるもんだね。

先日の日本代表の勝利もしっかりリアルタイムで観ていたし、アルゼンチンのキーパーがミスした時には思わず声が出た。

なるほど、たしかに面白いねぇ。夢中になる人の気持ちがよくわかる。

全部知らないチームだしメッシとかロナウドくらいしか名前も知らないけれど、90分も観ているとそれぞれのチームに思い入れも出来るんだなぁ。

とはいえきっと終わったらまたすぐに忘れて2年くらい経っちゃうんだけどね(^_^;)

今夜のセネガル戦もきっとこっそり観ていることでしょう。

米朝首脳会談

全世界が固唾をのんで見守る中、歴史的米朝首脳会談が行われた。
会談終了後に出された共同声明には具体的な事項に乏しく、やや拍子抜けしたが、まずは対話の道の第一歩を切り開いたという目に見える成果が欲しかった両者にとっての、利害と思惑が一致した最低限のラインということなのだろう。

そして外交は表に出る部分はごく一部で水面下で動いていることのほうが多いので、まだ表面的な部分だけを見て脊髄反射で評価するのは早計。今後の動きを引き続き注視したい。
同時に、今後いつでもひっくり返る余地が残してあるので、安心するのもまだまだ早い。

今回の会談、単なるパフォーマンスに過ぎないと批判する向きもあるようだが、たとえパフォーマンスであっても敵対しあっていたトップ同士が直接会うという意味は非常に大きい。まずは第一歩を踏み出したという点で評価したい。
トランプ大統領も今は金正恩委員長のメンツを立てることを意識していたように見えた。

日本は憲法のせいで軍事力を相手に対する交渉の牽制に使えないので、その部分をアメリカに頼ることしか出来ないのは甚だ残念ではあるが、今後拉致問題解決に向けてアメリカの協力を得られたのは非常に大きい。

とはいえ、今後北朝鮮と仲良くしても良い事はほとんどないので、我が国はとにかく拉致被害者の返還その一点のみを大前提に置いて、これからの直接交渉に当たって欲しい。

山岳遭難

先月新潟県五頭連峰で起きた痛ましい父子の遭難事故をきっかけに、過去の山岳遭難事故を色々と調べてみた。

中でもこの2010年に起きたトムラウシ山遭難事故の調査報告書は、切迫した臨場感に溢れていて恐ろしいながらも一気に読んでしまった。

http://www.jfmga.com/pdf/tomuraushiyamareport.pdf

 

あとは1994年の吾妻連峰遭難事故の動画も興味深く最後まで一気に観てしまった。
怖ろしすぎる。

このいずれのケースも最大の原因は不幸な悪天候にあるが、そこに至るまでにはリーダーの判断ミスと、スケジュールに余裕がなく各自の力量もバラバラな多人数でのパーティの行動の難しさが挙げられると思う。

特に山登りの場合だと、「貴重な休みを使って辛い思いをしてせっかくここまで辿り着いたのに」という心理が大きく働き、行程途中での待機や中止下山の判断はかなりのプレッシャーが掛かるであろうことは容易に想像できる。

更には、不幸に重なる判断ミスに加えて、悪天候による低体温症の進行により軽い錯乱状態になり、的確な判断ができなくなってしまう悪循環に陥るというのも、前掲の報告書を読んで初めて知った。

 しかし山岳遭難はこうした高山での不幸な想定外の悪天候ばかりが原因ではなく、低山での道迷いのケースも多いことを以下のサイトで知った。

ここに挙げられているケースには、まさか遭難するとは思えないような自分も登ったことのある馴染みの近郊の低山も数多い。

そのいずれも、ごく軽微な判断ミスによる道迷い。
ちょっとした事でいとも簡単に遭難してしまう。
中には死に至ってしまったケースもあり、読んでいて恐ろしくなった。

これを読んで改めて学んだのは、自分が山で道に迷ったな、と思ったら、まずはとにかく元来た道を引き返す。元来た道すらわからなくなっていたらとにかく尾根を目指して登ること。
尾根に行けば登山道になっている可能性が高いし、見晴らしが利くので今自分のいる場所を冷静に把握しやすい。
逆に谷に降り、沢を下ってしまうのは最悪手。
そのまま切り立った崖の滝にどん詰まり、登り返すことも出来なくなって万事休す。

まあこれは山登りの常識ではあるのだが、それは頭では理解していても、実際そうした状況に陥ったときに果たして冷静な判断ができるだろうか。

朝から一日歩いて疲れ切った下山路で、夕暮れ迫る中、折角下りてきたのにまた元来た道を登り返すのは心理的にかなりキツい。
おまけに里に近い低山だからこそ、沢伝いに下っていけば何らかの人工的な道や集落にたどり着けるのではないかという楽観的な思考になびいてしまいそう。

自分もたまにこうした近郊の低山に登ることがあるので、大きな戒めとして心に刻んでおこうと思う。

大相撲夏場所

大相撲夏場所横綱鶴竜の先場所に続く連覇で5度目の優勝に終わった。

しかし何と言っても今場所の主役は12日目まで全勝で優勝争いをリードした関脇栃ノ心。相撲内容も右四つ左上手を取れば絶対に負けないという万全の型を持った盤石の相撲で安定感抜群だったが、終盤右手を痛めた影響か連敗し、つかみかけた優勝を逃してしまった。

その栃ノ心との直接対決を制し逆転優勝した鶴竜。しかしその相撲内容は立ち合いの変化があったりしてどうにか勝ち星は稼いでいたものの、場所を通して決して強いと思わせる内容ではなかったので、個人的にはドッチラケの結末になってしまった。

特にがっかりしたのは千秋楽の白鵬との横綱対決。
ここで鶴竜が勝てば栃ノ心の結果如何に関わらず優勝が決まるということで、いつもの「モンゴル互助会」が発動されるのは前日から容易に予想できた。

しかし昨今の相撲界を揺るがせた大騒動、その最も深い根っこにはこの問題があることは間違いなく、批判を浴びた白鵬にとってはこれまでとは変わったことを証明できる絶好のチャンスだった。

が、結果は鶴竜に簡単に廻しを取らせるという、いつもと代わり映えしないモンゴル互助会相撲。あれ程の騒動を乗り越えてもやはり何も変わってはいなかった。

この両横綱にはもう期待はできない分、期待したいのは大関昇進を果たした栃ノ心だが、こちらも大きな故障を抱えているだけに今後が心配。
特に最近は稀勢の里にしても高安にしても照ノ富士にしても、昇進した途端に大きな故障をしてしまうことが続いているだけに。

とはいえ久しぶリに現れた自分の型を持った個性派力士だけに、全力で応援したい。
古くは千代の富士、最近では朝青龍日馬富士のような、相撲内容は違えど、こういう観ていて思わず声が出るような「面白い相撲」を取る力士は大好きだ。
来場所新大関でどんな相撲を見せてくれるのか、今から楽しみ。

www.sanspo.com

 

 

うわぁぁぁぁぁぁ現象

↑このコラムを読んで。

いい人をやめて人間関係から距離を置き、感動の栄養分を流し込むーーー自分が4年前に東京を離れてこちらに来たのはまさしくこういうことなのかもしれない。

ただ違うのは、この文章のように特に「自分を傷つける人」がいてそこから離れたかったというわけではなく、全ては自分個人から生ずる自意識の問題ではあったが。

しかし、これによって、日に数回、何かの拍子にふと過去を思い出してうわぁぁぁぁぁぁと叫びながらのたうち回りたくなるのがなくなったのかというと、、、全然そんなことはないのね(;´Д`)

自分の人生を振り返って、楽しい思い出も沢山有るはずなんだけど、これを考え出すとそれらを全て差し置いてこれだけで頭が占領されて髪をかきむしってのたうち回って叫び出したくなるやつ。
こんな思い出数え上げたらキリがない。
あれからはもう逃れられないんだろうかね。

ところで誰にでも少なからずあるであろう(よね?)この現象に何か名前はついていないのかな。

「フラッシュバック」…が近いのかもしれないけれども、外因的なトラウマというよりはもっと自虐的な悔悟なんだよね。

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宮部みゆき『ソロモンの偽証』

以前はよく読んだが、最近は個人的に期待はずれのことが多いこの作家。

そんなわけでしばらくご無沙汰していたが、この作品は映画にもなったし、面白いと評判だったので期待して読んだ。

全3巻の長編だが、第1巻くらいではなるほどテンポもよく、これはかなり期待できそうかと思ったが、第2巻以降はやっぱりいつもの冗長さで、最後まで読み切るのが苦痛だった。

ストーリーも設定もリアリティのカケラもない上に、人物設定も大昔の少年ノベルのような喋り方と行動の中学生ばかりで、どうしても入り込むことができなかった。

残念ながらもうこの人の作品を読むことはないかな。

とはいえ元々は大好きな作家で、『蒲生邸事件』あたりは何度も読んだものだけど。

 

ソロモンの偽証 第I部 事件

ソロモンの偽証 第I部 事件

 

 

連合赤軍とオウム真理教

連合赤軍関連本を大体読み終わったので、次は個人的に歴史的連続性を感じるオウム真理教関連の所蔵本を引っ張り出してパラパラ読んでみた。

あれから20年以上経って改めて読むと、当時のオウムの情勢認識は、階級闘争史観と世界革命ゴリゴリ極左だった連合赤軍に比べたら意外にまとも。

ただそこから一気に陰謀史観や世紀末思想に突き進んでしまい、麻原彰晃の「予言」とやらがほとんどハズレているのは笑ってしまう。

そんなデタラメな「予言」を実力行使で実現させてしまおうとしたというのが、オウム事件の根幹だったのではないだろうか。

連合赤軍オウム真理教
共産主義と宗教という思想は違えど、結局は自己を誇大に評価した選民思想的ではた迷惑な「革命ごっこ」をしたかった、という共通点を改めて実感した次第。

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