チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

輪島!わじま!!ワジマ!!!

輪島が!第54代横綱輪島が!!大相撲の世界に帰ってきた!!!

不祥事で追放同然で相撲界を追い出されて以来、実に23年振りにNHKの解説席に座ったのだ。

これは歴史的大事件だ!!!

しかも隣にはデーモン小暮閣下である。

普段は夜のダイジェストで済ませてしまう俺も、この日ばかりは一言一句も聴き漏らすまいと、中入りからたっぷりと楽しんだ。

この日の放送は永久保存版となった。

輪島と言えば俺の世代にとっては、子供の頃の大スターである。

毎場所のように好敵手北の湖と千秋楽まで優勝を争い、左四つがっぷり水入りの死闘を繰り広げ、今も語り継がれる大相撲黄金期を形作った。

昭和53年以降北の湖が力を付けてからは、長い勝負に持ち込もうとする若い北の湖に対して輪島は疲労の色が濃くなり、最後の最後に力尽きて土俵に倒れ込む姿もまた強く印象に残っている。

あとはなんていっても土俵入りの美しさは大相撲史上屈指のものだった。

小学校の校庭でみんなこぞって輪島の土俵入りの真似をしたもんだった。

まぎれもなく70年代を代表する光り輝く大スターだった。

昭和56年初場所の5日目、俺は蔵前国技館にいた。

あの頃は子供は100円で入場できたので、休みの日は毎週のように国技館に通っていたのだ。

その日は横綱輪島が新進気鋭の若武者千代の富士の挑戦を受ける日だった。

その一番の時、俺は当時のNHK放送の解説席の真ん前に陣取り、解説席のマイクに入るように必死で「わ~じ~ま!わ~じ~ま!!」と取組の間中叫んでいた。

そしてその一番は、これまで輪島に全く勝てなかった千代の富士が初めて輪島を敗った、歴史が移り変わる瞬間となった。

今でもこの歴史的な一番を見る機会があれば耳をよくすませて聞いてみて欲しい。

子供の俺の必死の声援がハッキリ聞こえるはずだ。

結局その場所、千代の富士は関脇で初優勝を遂げ、一方その翌場所、輪島は土俵生活に終わりを告げる。

その輪島の解説は、専門的でありながらとても礼儀正しく、かつ人柄がにじみ出るように暖かく、俺は何度も涙が出そうになった。

そしてそれをさりげなくフォローするデーモン小暮閣下

おそらく輪島を再びこの世界に迎えるべく、各方面に口をきいたのは彼の功績だろう。

閣下の相撲を愛する熱い心には毎回うならされる。

最近朝青龍批判の急先鋒としてテレビによく出てくる・・・名前は忘れたが,あの人には、その相撲を愛する心が全く伝わって来ないのだ。

どうやら漫画家らしいが、読んだ事ないのでわからんのだが、そんなに偉い人なのかい?

悪いがとてもそうは思えないのだが・・・。

毎回あの人のコメントを聞くととても不愉快な気持ちになるのは、相撲に対する『愛』を感じないからなのだ。

その点このデーモン小暮閣下は、たとえ苦言を呈している時でも、その裏には相撲に対する深い愛情と、マニアック過ぎる知識に裏打ちされた説得力を持っていて、いつも納得させられる。

年に一度くらいの割合で解説席に呼ばれるが、年に一度と言わず、毎場所でもその愛のこもった解説をして欲しい。

もちろん輪島さんも一緒に!!!!!

大掃除で毎週相撲を見に行っていた頃の写真も出てきた。

残念ながら輪島の姿は見つからなかったが、撮った記憶はあるので、もっと探せば必ず出てくるはず!

なので今回は、昭和56年秋場所、新横綱の場所の千代の富士

先導するのは付け人だった当時三段目の保志。

後の横綱北勝海である。