かつて、磐越西線喜多方から北へと伸びるわずか4駅11.6kmのローカル線があった。
その名は日中線。
しかし朝一往復と夕二往復の一日三往復と、その名に反し日中は一本も走らない極度のローカル線であった。
当然ながら1980年国鉄末期の国鉄再建法の廃止転換対象路線に入ってしまい、1984年にあっけなく廃止されてしまった。
実は廃止される数年前、俺はここを二年続けて訪れている。
確か小学校六年か中学一二年くらいだったと記憶しているのでかれこれ30年以上前の話。
夏休みを利用して、当時は存在していた夜行急行ばんだいに単身乗りこみ、はるばる喜多方までわざわざこの日中線に乗りに行ったものだ。
俺の一番大好きな路線だった。
何故子供心にこの日中線に魅力を感じたのか。
やはり一日三往復しか走っていなく、当時でももう珍しかった背もたれが板張りの旧型客車をディーゼル機関車DE10が田園地帯をコトコト引っ張るという、これ以上は考えられないくらいのモノホンのローカル線だったということだろう。
その数年前までは本州で一番最後までSLが走っていたらしいのだが、非常に残念ながらそれには間に合わなかった。
そんな日中線、廃線後はほぼ跡形もなくなってしまったとのことだが、唯一終着駅の熱塩駅の駅舎が『日中線記念館』として保存されていることを知った。
これは行くしかない!!!
いざ着いてみると、鮮やかなまっ赤な屋根に葺き替えられてはいるが見覚えのある瀟洒な駅舎が!
現役当時はどの駅も見るも無惨に荒れ果てて悲しい思いがしたものだが、当時の雰囲気そのまま綺麗になっていて非常に保存状態はいいようだ。
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↓こんな看板まで当時のまま。
手動のきっぷ券売機が自由に触れるように開放されていて、訪問記念切符が買えるようになっていた。
もちろん購入(100円)。
ここで折角なので30年前の写真を引っ張り出して来て、現在のものと比較してみることにする。
まずは駅舎外観。
現在は綺麗な赤屋根となった瀟洒な洋館風駅舎。
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こちらは30年前現役当時。
窓ガラスは抜け落ち、化け物屋敷のように荒れ果てているのがおわかり頂けるだろうか。
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これを比較して驚くべきは樹木の成長ぶり。
高さも太さも30年でこれほどまでに成長するものとは。
植物の生命力の力強さと頼もしさを感じると同時に、30年という年月の長さも実感する。
そして今度は反対側の線路側からホームを見る。
まずこちらが現在の様子。
もちろん線路は撤去されている。
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ここにこんな風に客車列車が停まっていた。
機関車付け替え用の側線がもう一つあった。
引っ張って来たDE10は行ったん切り離し、この側線を通って反対側の先頭に取り付いた。
これはもう付け替えが終わりまさに発車しようという状態。
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別角度から。
DE10はホームからはみ出して停車しているのがわかる。
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反対側には駅名表示板が今でも残っている。
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そして30年前の同じ場所がこれ。
写っているのは小学生か中学生の俺だ。
一人旅だったので見知らぬ人にシャッターを押してもらったと思われる。
これも驚くべきは樹木の成長っぷり。
特に看板向かって左側の樹の成長ぶりは凄い。
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そしてもう一つ見覚えのある看板が。
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同じ看板の前で30年前。
樹があれだけ育つんだから人間だって育っているはずだが…。
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ホームから離れて全景を望む。
左の建物は車両が保存されている。
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30年前の同じような角度から。
ここでもやはり周囲の樹木の成長が目を惹く。
何より背の高さが全然違う。
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そして何と嬉しいことに当時の客車がそのまま保存されていた!
保存状態は素晴らしく、こまめに手入れされていることを物語る。
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これが当時乗った車両。
残念ながら全く同じ車両ではなかったが、二両編成で走っていたのでもう一台の方かもしれない。
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もう一度現在の様子。
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中にも自由に入って座ることができる。
これは嬉し過ぎる!!!
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う~ん、たまらん!!!
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そしてもう一台、何と当時使われていた雪かき用のラッセル車までもが保存されていた!
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それも何と中に入ることができるのだ!
こんな特殊車両の中に入れることなど不可能なのでこれは貴重な体験。
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ラッセル板の角度を調節するレバーにも実際に触ってみることができる。
これは興奮する。
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そしてこちらがこの記念館を管理なさっている方。
色々貴重なお話を伺うことができた。
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お話を伺うと、なんと当時の機関車転換用のターンテーブルまで残っているとのこと!
これはお話を伺わなければ気が付かなかった。
それがこれ!
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まるで古代遺跡のようで、何も知らなければ一体何事かと思うだろう。
この中心付近にある溝に水を流して、その浮力を利用して人力で機関車を押して回していたとのこと。
今回この日中線記念館、楽しみにはしていたが、まさかここまでしっかりと丁寧に保存されているとは思わなくて非常に驚いたとともに大いに興奮した。
それというのも、「日中線の記憶を後に伝えよう」という地元の方の熱意と、地道な努力のお陰である。
保存状態はどれも非常に良好で、丁寧な手入れがなされていることが一目瞭然。
この絶え間ない努力に心より感謝します。
どうかこれからも末永く日中線の記憶を後世に伝えていただきたいと心よりお願い申し上げます。
本当にありがとうございます。