先日のこと、靖国神社に奉納大相撲を見に行ってきた。
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靖国神社といえば、昨今の外国からの執拗な抗議によって、逆に改めて日本人にとってのその存在の重要性に気がつかされたという人は多いと思う。俺もその一人だ。
それまでは単純にA級戦犯というのは極悪人であるかの如く信じ込まされてきたし、特攻隊などはある種犬死に的とすら感じてしまいかねない教育を受けてきた。だから数年前までは外国の抗議は当然だと思っていたし、そこに総理大臣が参拝するなどもってのほかだと思い込まされていた。
しかし今は違う。何故こんなに執拗に抗議を受けるのかを調べれば調べるほど、逆に靖国神社が日本人にとっていかに重要なものであるかを今ではしっかりと理解するに至った。
英霊の方々今まで本当に申し訳ありませんでした。そういう意味では俺の中の日本人を目覚めさせてくれた隣国首脳には感謝します。逆説的だけど。
正直、子供の頃はここに何が祀られているのかすら教えられることはなかったし、大人になってからも来たのは例大祭の時に見世物小屋を見に行った一度だけしか記憶にない。
ずっと一度はきちんと参拝をしたいと思いつつきっかけをつかめずにいたところ、今回奉納大相撲の情報をキャッチした。参拝できる上に相撲まで見られる! こんな素晴らしいチャンスはない!!!
この日、道路を挟んで向かいの日本武道館ではちょうど大学の入学式だった。
満開の桜が門出を祝福してくれる。何とも言えず素晴らしい風景。一生の思い出になるだろう。
俺は大学の入学式には自分の意志で出席しなかった。今思えばアホらしい。カッコつけてないで出ておけばよかったな~。
両脇には露店が建ち並ぶ。
平日の昼間というのにかなりのにぎわい。
大村益次郎の像。 参道では猿回しをやっていた。
菊の御紋と靖国の桜
このあと奥の相撲場へ。
その続きは次回「奉納大相撲編」へ。
相撲観戦を終え遊就館へ。
遊就館とは戦争にまつわる資料や遺品を集めた資料館である。
展示してある資料、特に戦争で命を落とした人の遺書は涙なくしては読めない。
みんなどうしてここまで立派なんだろう。自分は果たして同じ立場に立った時こんなに立派な遺書が書けるのだろうか。
みな自分のことよりも残した家族やこの国の行く末を案じている。
俺たちが今こうしてこの国で笑って暮らせているのも全てこの人たちの尊い犠牲の上に成り立っているんだ。それだけは絶対に忘れてはならない。
近年この遊就館に対する批判がまたやかましい。
批判する人は実際にその目でここを見たことがあるのだろうか?
隣国の大統領がここを見たい(恐らくは批判の為に)と仰っているそうだが、いっそのこと堂々と見てもらったらいい。
どうぞ何も遠慮はいらない。やましいものなど何もないのだから。
パール判事の顕彰碑
東京裁判で唯一、戦勝国が敗戦国を裁くことの不当性を訴えた人物。
今回はせっかくの機会なので、正式に玉串料を納めて昇殿参拝をすることにした。
本殿横の受付で記名をする。控え室に案内され玉串料を納めると「ご遺族ですか?」と聞かれる。
「いいえ違います」と言うと黄色いリボンを渡される。
数人まとまったところで案内され、まずは手水で手と口を清める。
この作法はあらかじめ予習しておいたのでよかった。
整列して本殿手前の廊下(ニュース映像でおなじみのあの廊下)で一旦止まり、お祓いを受ける。
そしていよいよ本殿へ。身が引き締まる。不思議なほどの静けさに溢れた陽光の中、廊下を歩く人々の静かな足音だけが響く。
本殿へ入り、玉串を授かる。
しかしここで大失敗をしてしまった。手水や参拝の作法はあらかじめ予習しておいたのだが、玉串の捧げ方は全く知らなかった。こっそりと両隣を見るが、どちらもそれぞれやり方が違う。どうにかこうにか見よう見まねでやってみたが、冷や汗が出た。
帰ってから調べると自分のやり方は大間違いだった。恥ずかしい限りで申し訳ない。今度また行く時は間違えないようにしよう。
玉串を捧げ二礼二拍手一礼をしている時、突然吹きさらしの神殿を一陣の突風が通り過ぎていった。
身も心も清らかにしてくれるかのような心地の良い風だった。
偶然とは思えなかった。英霊達が挨拶に来てくれたのかもしれない。
参拝の最後にお神酒をいただき、お供物を授かった。
持ち帰って大事にとってあるけれど、これは頂いてもいいものなのかな???
外に出ると満開の桜が迎えてくれた。
ここは狂おしいほどに日本だ。
-2-奉納大相撲編へ続く