やっぱり大きな声でカタカナでこう叫びたいよね。
さて・・・何から話せばいいんだろう?
出会いは確か中一の時。
初めての制服に身を包んで大人の階段の最初の一歩を昇り始めたちょうどその時に、安物のトランジスタラジオから耳に飛び込んできたのがRCサクセション。
それまで歌謡曲しか知らなかった子供の俺には、そのサウンドはまさにロックンロール!
とてつもなく刺激的だった。
俺らの世代のミュージシャンなら、誰もが何らかの形で影響を受けているはず。
みんな休み時間に机の上にのぼって、ホウキ片手に「愛し合ってるか~い?」ってやったよな!?な!?な!?
まさしくロックンロールスター!!!
ロックバンドのカッコよさを強烈に教えてくれた。
全く時を同じくして現れたYMOとともに、中学生の俺にとっては二大神様だった。
その正反対のジャンルの俺の神様同士が手を組んだ驚天動地の『いけないルージュマジック』の衝撃といったら!!!!!
にわかに信じられなかったもんな。
この衝撃、今で言ったら・・・
今で言ったら・・・・・
・・・・・?
全然思い浮かばない。それくらい衝撃的だったのだよ。
あまりにも俺がすごいすごいと学校で騒ぐもんだから、「夜のヒットスタジオ」だったか「ザ・ベストテン」だったかを「そんなに言うならじゃあ見てみるよ」と、言ってくれた同級生の中島。
翌日学校に来て、「なーんだ、あの坂本って人、全然歌わないじゃん!」って文句を言いやがったのを、「クソーコイツわかってねーな!!!」と頭に来て大喧嘩したのを突然思い出した。チクショーメ。
まあそれはともかく・・・
「RHAPSODY」「PLEASE」「BLUE」そして後追いで聴いた「シングルマン」。
この四枚は死ぬほど、それこそ誇張でなしに実際にカセットテープがビロビロになるまで何度も何度も聴きまくった。
どの曲も何度も何度も口ずさんだ珠玉の名曲ぞろい。
高校に入ってからはコピーバンドもやった。
自分が二十代になり、キヨシローも政治的なメッセージソングが増えてきた「Covers」あたりからは少し遠ざかってしまったが、それでもやっぱりいつでも気になる人だった。
そしていつでもキヨシローはそこにいて、歌い続けていてくれた。
これからもずっとそうだと思っていた。
沢山の素晴らしい音楽をありがとう。
あなたの歌は永遠に俺の記憶に残り続けます。
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1982年5月5日、ビックリハウス主催の『ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会』でその日限り結成された『ヘンタイよいこバンド』。
メンバーは忌野清志郎、チャボ、坂本龍一、矢野顕子、あとはドラムが鈴木さえ子、ベースがどんべえさんだったかな?
というとてつもないメンバー。
当時大ヒット中だった『いけないルージュマジック』ももちろんやってくれた。
あとは教授が女装して『悪女』かなんかを歌ったような・・・?
初めて聴いた『温和な労働者と便利な発電所』は衝撃だった。
入り口でカメラを没収されなかったので撮っちゃったけど、たぶん撮影禁止だったんだろうな。
結構貴重な写真だと思うぞ。
もう時効だよね♪