前回の『私を通り過ぎた音たち』の続きです。
俺にとって小学校高学年~中学生の頃の音楽に目覚めた当時の『神』といえば、まずは頂点に君臨するのがYMOとその一派、ちょっと距離を開けてRCサクセション、そしてオフコースだった。
YMOやRCはともかく、その後自分がバンドをやり出してからというもの、周囲にオフコースをわかってくれる仲間はほとんどいなかった。
パンク全盛のバンドブーム当時、バンド仲間で唯一オフコースの話が出来たのはスピッツのマサムネくらいだったな~。
それどころか、どうもバンドマンにとってオフコースは妙な偏見があるらしく、冷笑を伴って馬鹿にされるのが関の山だった。
なので自分もそれ以降何だか恥ずかしくなり、「ごめんよ!カズマサ~!!!」と、夜な夜な壁に貼ったポスターに向かって泣き叫びながら、長いこと『隠れオフコース』として耐え忍んできた。
・・・・・。
えー、かなりフィクション入ってますが。
さてそんなオフコースの世界、自分が初めて出会ったのは他の例に漏れず「愛を止めないで」「さよなら」あたりの、ちょうど2人組から5人組になった頃。
忘れもしない小学校6年生の時だったな。
それ以降続けざまに大ヒットを連発するが、3年後にはあっという間に解散してしまう。
俺がオフコースの音楽に出会う以前の2人組だった頃の音楽を聴いたのは、それからずっと後になってから。
彼らはこんな昔からこんなに素晴らしい音楽をやっていたのか!
と、驚いた。
これって全く同時期のRCサクセションにも共通するよね。
バンドとなって大ヒットを飛ばし続けた全盛期の80年代の音を今聴くと、リズムアレンジ等サウンド的にはかなり時代を感じてしまう部分もあるが、それ以前の70年代の音は30年以上が経過したこの時代になっても全く色褪せる事がない。
本当に上質な音楽。
とはいえ、ちょっと自分でも恥ずかしさを感じていた遠ざかっていた80年代の曲も、今改めて聴いてみるとどうしてどうして、本当に素晴らしいものです。
「Yes-No」のイントロから歌が入る瞬間の転調は今聴いてもやっぱり衝撃的だ。
スネアが異常にデカイけど・・・。
改めてオフコースを聴いてみて思う事は、鈴木康博と小田和正はまさしくレノン・マッカートニーだったということ。
2人組の時代から5人組の時代まで、二人の作品はお互いの作品と反応し合って更なる輝きを放っていた。
俺は当時は小田和正の曲が好きだったんだけど、その頃NHKで放映されたオフコースのドキュメントを後から見ると、やはりオフコースには鈴木康博が必要不可欠だった事がとてもよく分かる。
やはり、ともに高め合う仲間でありライバルでもあるという存在は必要なんだ。
その証拠に、鈴木さんが抜けた後の小田さんの作品は、申し訳ないけれどしばらく気の抜けたもののようになってしまい、ぱっとしなくなる。
後に『ラブ・ストーリーは突然に』で華々しく復活するまでは。
そしてもう一つ、改めてオフコースを聴いてハタと思ったのは、YAMAHAのCP80の音色を改めてもう一度見直してみたいものだということ。
CP80とは生ピアノを模して作られたエレキピアノで、ローズよりも生ピアノに近い感じの音が出て、70~80年代には非常に重宝された楽器で、オフコースでも多用されています。
そうそう、「さよなら」のイントロのピアノの音って言ったらわかるかな?
俺にとっては、高校の学校祭の時にレンタルのCPを血まみれにしてしまった思い出があります。
最近は全く見なくなっちゃったね。
生ピアノをペラペラにしたような質感で、のちのM1ピアノのようなガツガツコード弾きもできれば、バラードでのアルペジオなんかでもCPならではの独特の味がある。
さすがに本物は無理だけど、確かmotifにサンプリング音色が入っていたと思うので、是非これから積極的に使っていきたいです。