チェリーの音楽幕府

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『いだてん』を振り返る

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今日からいよいよ新大河ドラマ麒麟がくる』がスタートする。
それにあたって、やはり前作『いだてん』を自分なりに総括しておかないとどうにも気持の整理がつかず先に進めないと思ったので、やや気が重いが、改めて振り返って「自分のいだてん」に決着を付けようと思う。

実は自分は放送開始前はこの『いだてん』はとても楽しみにしていて、それどころかもしかするとこれは歴史的名作になるんじゃないかくらいにまで期待は膨らんでいた。
その理由は脚本の宮藤官九郎はじめ、あの名作『あまちゃん』のスタッフが満を持して作り上げるスケールの大きな大河ドラマだと思っていたから。
自分はクドカンが大好きでこれまでの作品はほとんど観ているし、最近の大河ドラマの低レベルには辟易していたので、これまでの戦国ばかりの大河から脱して東京オリンピックをテーマにしたのも、全く新しい大河を作りたいという制作陣の意気込みを強く感じ、非常に意義のあることだと思っていた。

なので最初のうちは完全な贔屓目のファン目線で、これ以上ないくらいに好意的に観ていたつもりだった。
そんな期待を膨らませて観た初回の感想は「かなりゴチャゴチャ詰め込んだな〜」とは思ったが、それも「まあクドカンらしいよね」と、まだまだこれから始まるであろう壮大なドラマへの期待の方が大きかった。

しかし回を重ねる毎に自分の中での比重は期待よりも疑問の方がどんどん大きくなっていくばかりだった。
それは最初の2〜3ヶ月で最大限に膨らみ、その時点で自分の基準で普通だったらもう視聴中断レベルだったが、そこはやはり最初の期待が大きかったこともあり、これほどのスタッフと役者を揃えた大作ドラマがこんな状態で終わってしまうわけがない、きっとこれから大逆転劇で盛り返してくれるはずだ、それまでは何とかしてドラマのいいところを見つけよう、という一心で見続けたが、正直言ってそれはもはや苦行でしかなかった。

半年経って主人公が替わり、ここで一気に大逆転が来るかという期待もあったが、結局印象はずっと変わらず最後まで苦行は続いた。
あまりの苦しさに途中数週分溜めてしまうこともあったが、どうにか最後まで完走することができた。
もう後半はこれほどの歴史的失敗作、最後まで自分の眼で見届けてやる!という使命感のみに支えられて。

「失敗作」と言ってしまったが、周知の通り現実の評価は自分よりも更に厳しく、視聴率は絶望的に下がり続け、記録的な低視聴率を連発し、大河ドラマをずっと観てきた潜在層をことごとく追い出す形になり、歴史ある大河ドラマの権威を失墜させてしまった。
最後の方では批判するために冷やかしで観ていた人たちすらも離れてしまい、逆に最後までわずかに残った熱烈な支持層の絶賛の声だけがSNSなどに残されていったのは興味深い現象だった。
この現象は「でんでん現象」と呼ばれるものだそうで、図らずもそれが実証される形になってしまったが、今後はこれを「いだてん現象」と呼ばれることになるのだろう。

このドラマに疑問を持ち始めた最初の方で、一体このドラマの何が問題なのかを自分なりに考えてみたことがある。
今更ではあるが、自分にとってのこのドラマの問題点は、

1.とにかく全てがガチャガチャうるさい

2.五輪招致編と落語編の2つのストーリーの関連の意味不明さ

3.ビートたけしのセリフの不明瞭さ

4.主人公二人の暑苦しさで画面が汚い

5.実在の人物への敬意が欠けている

ざっと大まかにこの5点。(細かく上げればもっとある)

まず1.から。
初回を観てまず1番に感じた印象がこれ。
とにかく全てがガチャガチャしている。
役者たちがとにかく常に大声でがなり立てているのと、エピソードを細切れに矢継ぎ早にブチ込んできて視聴者を混乱させる。
とはいえこの手法はクドカンドラマの特徴ではあるのだが、今回に限ってはそれが成功していたとはとても言い難い。
現場では役者たちが大いに盛り上がり、異常なくらいに高揚していたであろうことは想像できるが、それが編集されて出来上がった画面になると、ただただひたすらやかましいだけの仕上がりになってしまっていた。

次に2.だが、これが最もわかりにくかった。
そもそもクドカンは落語がやりたかったが企画が通らなかったので、興味のなかった五輪と組み合わせることにしたとご本人が語っているが、これが大きな間違いのもとだったのだろう。
後半でようやくその2つのつながりらしきエピソードが出てきたが、「ここまで引っ張っておいてそれ?」というものだった。結局最後まで落語のストーリーの意味があったのかどうか。

3.はこれまで大河ドラマを支えてきた高齢者層が離れる大きな原因になったと思われる。
とにかく何を喋っているのか、字幕を出さないと聴き取れない。
話題作りのためだったのか、かつては一時代を築いたが、とうの昔にその役割を終えた人物を無理やり引っ張り出して晩節を汚さなければならなかったのか?

 4.は誠に失礼ながら主人公二人の顔がとてもアップに耐えられるものではなかったのと、そのキャラ作りもどちらもただぎゃあぎゃあわめくだけの奇人変人でしかなかく、とても人柄に惹かれて多くの人が付いてくるようには見えなかった。
金栗四三の水浴びの際の「ひゃー!!!」も、田畑政治の口癖の「違う!そう!」も。あまちゃんの「じぇじぇじぇ」のように流行らそうと思ったのかも知れないが、連発されるとただ不愉快でしかなかった。

5.は登場人物をおちょくったように描くのがクドカン流ではあるが、オリジナル劇では面白いがそれを実在の人物にもやってしまうのは観ていてあまり気分のいいものではなかった。

以上5点を見て導き出されるのは、制作陣の奢りだ。
あまちゃん』はたしかに面白かった。
しかしあれは今思えば時期や舞台や役者やテーマ、その色んな要素がありえないくらいに上手くハマって出来上がった奇跡的な傑作だった。
その成功で図に乗った制作陣がやりたい放題やったが、今度は逆に全てが噛み合わず大撃沈したのが『いだてん』だったと思う。

巷間言われている「クドカンの脚本と、オリンピックという近代テーマが保守的な大河ドラマ支持層に受け入れられなかった」というのはちょっと違うと思う。 

 なぜなら自分は冒頭に述べたようにそもそもクドカンの大ファンだったし、オリンピックというテーマも硬直化していた大河ドラマを一新するものとして大いに期待していたので、この理由では説明がつかない。

 要するにドラマの出来が決定的に悪く、ただただ単純に観ていてつまらなくて視聴者が離れていったとしか言いようがない。
途中出演者の不祥事が相次いだのは不運で気の毒だったが、それは全く関係はないだろう。

とはいえ、結果的に失敗してしまったが、昨今の低レベル過ぎる大河ドラマを刷新しようという崇高な意気込み、その1点だけは評価したい。
それほどまでに最近の大河ドラマはつまらない。
しかし『いだてん』で決定的に離れてしまった大河ドラマ潜在的視聴者を戻すのはもう並大抵のことではない。
いだてんがそれに払った代償はあまりにも大き過ぎた。その責任は極めて重大だ。
 

歴史ある大河ドラマも終焉の時がこれで一気に近づいたのかもしれない。
ちょうどそこに『ポツンと一軒家』というおあつらえ向きの強力な裏番組も出来てしまった。
麒麟がくる』がその歯止めとなる一手となるか?
残念ながらその道は甚だ厳しいと言わざるを得ない。