チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

修羅ばんば!

月末恒例の仕事の修羅場を先月も無事乗り越えた。

・・・いや、全然「無事」ではなかったんだけどね。「今月という今月はもー無理だ!」って何度も諦めかけたよ。

やはり有り難いのは家族のサポート。月末になればなるほど、睡眠時間や食事などの生活サイクルがメチャクチャになっちゃうんだけど、そんな時ほど世話になりっぱなしです。ほんとにありがたいね。

2月は日数が短いから今のうちから頑張らねば!!!

最月末なんかは折角作ってくれた食事も食べる時間がなくって、ついつい手元にあるお菓子なんかに手を出してしまうんだけど、お菓子はダメだな~。腹は減ってるのにお菓子で済ませてしまうと、決まって胃がもたれて、それから2~3日は何も食べなくてもよくなっちゃう。身体に悪いよね。やっぱり毎日きちんと食事をする事は大事です。感謝。

そんな中、大相撲初場所は願ってもない盛り上がり。千秋楽の横綱決戦は久しぶりに手に汗握る熱戦だったね。特に途中の引き付け合いで、朝青龍の足が土俵に食い込んで土俵の土がズリズリズリっと削れていったのがスゴかった!!!あんなの久しぶりに見たよ。こんな名勝負がこれから何場所も繰り広げられると思うとワクワクするね。

朝青龍は本当に逆境に耐えてよく頑張った。決して相撲勘は戻り切っておらず、以前のようなキレはなく本調子にはほど遠かったが、今まで見たこともないような「必死さ」が痛いほど伝わってきて何度も涙が出そうになった。

結果的に「休んでいた者に負けられない」白鵬が優勝して、叩かれ尽くした朝青龍がバッシングを跳ね返して面目を保ったことで、これ以上ないシナリオになったわけで相撲協会も万々歳だろう。

とはいえ朝青龍はああ見えて実は「空気を読む」ことがよくある。以前にも何度か土俵上で「空気を読んだ」事があった。今回も何となくそんな気がしたのは贔屓目に過ぎるかな。もちろん八百長だとかそーゆー話は抜きにして、双方勝つ気で土俵に上がり、実際力を出し尽くした名勝負であったことは確かなんだけど、最後の最後、白鵬に投げを打たれた瞬間に、「負けてもいいかな?」という感情がフッとよぎったとしても不思議ではない気がした。だってそれが多くの人が望む「全て丸く収まる」結果だから。

まあ実際に真剣勝負をしている力士にこんな事を言うのは失礼な事なのだが、真剣勝負であればあるほど、そうした一瞬の「心の迷い」が勝負を決する大きな要素になるんだよね。

なので、本当に真価が問われるのは来場所以降だ。ホントに楽しみだね♪

朝青龍白鵬もがんばれ!!!!!

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朝青龍が力を発揮した事で、さすがに一時のヒステリックなバッシングも落ち着きを取り戻してきたが、やはりいまだにまず悪意ありきで報道しているメディアが見受けられる。

場所中、ネットで各新聞の報道を読み比べていたが、同じ記事を伝えるだけでも、各新聞の主観が入る事で全く違う印象になってしまう記事がいくつもあった。

特に某新聞での手法は、具体的には忘れてしまったが、たとえば朝青龍の話す同じ言葉を伝える上で、

「・・と吐き捨てた」「にらみつけながら・・」「・・などどこ吹く風」「不機嫌そうに・・」「・・と不敵に笑った」「傍若無人に・・」

などという悪意のこもった形容詞をそこに付けるだけでまったく違った印象操作が出来る。

実際に同じ事を伝える他の新聞を見ると、正確な記述は忘れたが例えば

「不敵に笑った」→「にこやかに答えた」

だったりするわけで、この悪意のこもった形容詞はあくまで記者の主観でしかないのである。

特にこの新聞はその傾向が顕著で、朝青龍の記事には全てそんな悪意の主観による形容詞が必ず付いていた。この新聞だけを読んでいる人にとっては、「朝青龍は悪い奴」というイメージが自然と刷り込まれてしまうのはもはや自明だろう。

一時期のマスコミ総バッシングのヒステリックな状態ではどうしようもないが、メディアの読み比べがいかに大事な事かが、この一件だけでもよくわかる。

マスコミというのはそれぞれの利害があり、ほとんどの記事はその利害に沿って書かれている事を忘れてはならない。スポーツならそれほど害はないけれど、これが政治となると大きな問題だ。

俺たち読者は、多くを読み比べて、安易な誘導には乗らずに、その意図する所を読み取っていくことが要求されるのだ。これがまた難しいんだけどね。

ま、俺が言いたいのは、

朝青龍がんばれ」

ってことだけなのよ~♪

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