チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

さらば朝青龍。そしてこの国はどこへ行く?

朝青龍がついに引きずり下ろされた。

これまで執拗に彼を叩いていた勢力はさぞかし溜飲を下げたことだろう。

ここ数年の朝青龍バッシングをはじめとする相撲界に対する意図的なイメージダウン報道。

今回の貴乃花の理事選騒動もその流れか。

俺はそこに、日本の国技を貶め、潰そうとするある種の力の働きを常に感じている。

何故みんなそれに気が付かないんだろう???

この雰囲気、何度も言ってるけど、ちょっと前の安倍・麻生叩きと全く同じ空気を感じるのだ。

これだけに始まらない、今この日本全体を覆い包む何とも言えない気持ち悪さ。

これは一体何なんだ。

このままだとこの国は大変なことになる気がする。

その時気が付いてももう手遅れなのに。

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朝青龍はそういった勢力にとってまさに打ってつけのスケープゴートだった。

彼が外国人であることで、それを快く思わない保守的な人をも巻き込むことができた。

結果的にそれが相撲界全体を衰退化させることになることを巧妙に気付かせずに。

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今回の原因となった『暴力』事件。

マスコミの報道が100%事実なら、朝青龍ファンの俺もさすがにこれは擁護できない。

酒のせいにしている所なんか最悪だ。

しかし、こと朝青龍に関してのマスコミの報道は、俺は全く信用していない。

今回も、あまりにも謎が多過ぎる。

マスコミは双方に取材して真相を明らかにすればいいのに、全くその動きが見られないのは何故なんだ?

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今までだっていつもこの調子なのだ。

モンゴルのサッカー騒動の時だって、当人がモンゴルにいる間に「ケシカランケシカランケシカラン!!!」の嵐で、日本に戻ってくる頃には1ミリたりとも弁解の余地のない針のむしろに追い込んでおく。

朝青龍もそうなると無駄な反論もせず、押し付けられた処分に黙って従う。

「サッカーやって何が悪いんだバカヤロウ!」と言って当然のところを黙ってこらえる。

口では何も言わずに黙ってこらえて、限界説が飛び交う謹慎後の土俵上でしっかりと結果を出す。

この態度にこそ俺は彼の『品格』を見るのだが、誰もそんな事には注意を払おうとせずに、世間は寄ってたかって「ざまあみろ」の空気。

そこには遠い異国から単身日本にやってきて、風習文化の違いを乗り越え、孤独に耐え抜き人一倍の努力を重ね、ついに横綱という最高の地位を自らの手で勝ち取った者に対する尊敬の念のかけらもない。

その昔、某大横綱が故障で三場所連続休場した。

その間、温泉地で療養していたのだが、その合間に地元の高校生とバレーボールに興ずる姿が美談として報道された。

これなんか朝青龍のモンゴルサッカーの件と全く同じケースだ。

なのに片方は美談、片方は人格否定に追い込むまで叩きまくる。

朝青龍に関しては全てがこの調子。

手刀を利き腕の左手で切っていたのも「ケシカランケシカランケシカラン!!!」

横綱審議委員会の大先生は「相撲の歴史と伝統」なんておっしゃていたが、あんなもん戦後になってからある一人の力士が単なる気まぐれで始めたのが流行って慣例化しただけのもので、明文化されたルールではない。

それ以前は手刀切る力士なんて一人もいなかったわけで、右手も左手もあったもんじゃない。

そういうわけで実はこれ、横綱審議委員会の大先生の勉強不足を露呈してしまっただけのことなのだが、世間的にはたぶんマスコミの言うがまま「朝青龍は伝統を守らない」というイメージが一人歩きしてしまったよね。

この時だって彼は黙って従って、利き腕でないやりにくい右手にわざわざ変えた。

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いつもいつもこんな調子の中、彼は本当に黙って耐え抜いた。

しかしマスコミは次から次へとバッシングの材料を探して執拗に叩きまくる。

基本的にサービス精神旺盛で感情を表に出して表現することの多い朝青龍は、彼らにとって叩く材料に事欠かない格好の餌食だった。

ようやくこれで彼らはその目的を達成出来たわけだ。

さぞかし満足なことだろう。

しかしそれにまんまと乗せられてしまった相撲協会

これからどうする?

何年にも渡って相撲協会を支え続けた功労者朝青龍を切り捨てて、これからの大相撲に明るい未来はあるのか?

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思えば若貴ブーム後期あたりから、相撲界はひたすら大型化し、不自然なまでに身体を大きくした力士たちが、鈍重な身体を土俵上でもてあそぶ醜悪なスポーツになりかけていた。

そこに彗星のごとく現れたのが朝青龍

その類い稀な運動神経と闘争心で、それまでの常識を覆すスピードと技の切れを土俵に持ち込んだ。

決して大きくない身体で大型力士をものともせずに投げ飛ばすその姿は、相撲が格闘技であることを久しぶりに思い出させてくれた。

朝青龍の登場で、相撲に興味を失っていた俺も再び熱心に相撲を見るようになった。

朝青龍の影響で、それまでのただ大きいだけの力士は姿を消し、モンゴル人力士を初めとした技の切れとスピードが主体の相撲に変化していった。

これによって相撲が俄然面白くなった。

そんな中、彼に対抗できる力士が現れるまでの長きに渡って、朝青龍はたった一人で日本相撲協会の屋台骨を一人横綱として支え続けてきた。

巡業などでのファンに対するサービス精神も人一倍で、相撲ファンにおいての彼の人気は絶大なものがあった。

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土俵の上ではもの凄い集中力と闘争心に溢れているので、いざそれが解放された時の感情表現も魅力の一つだった。

ガッツポーズ?

万感の思いを込めた優勝を決めた瞬間くらいいいじゃないか。

いつもやってるわけじゃない。

相手に失礼と言う意見があるが、貴乃花あたりがよくやって賞賛されていたような、土俵下に落ちた相手力士に手を差し伸べる方が、余程負けた相手にとっては屈辱的ではないのか。

俺はあの慣習はとても見苦しく思えてならない。

北の湖なんかは相手を土俵下に吹っ飛ばしておいて、振り向きもせず威風堂々と胸を張って引き揚げたもんだ。

そっちの方がよっぽどカッコイイ。

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良きも悪しきも、朝青龍には華があり、そのカリスマ性は飛び抜けていた。

ファンもいればアンチもいる。

それでこそ真のスター。

まさに相撲協会の功労者なのだ。

もし朝青龍がいなかったら、と想像すると背筋が寒くなる。

しかしこれからはもう彼はいないのだ。

非常に残念なことだが、彼のいない大相撲は正直興味がわかない。

相撲界の衰退、ここに極まった感がある。

朝青龍、いや、ドルジ。

今まで素晴らしい相撲を見せてくれて本当にありがとう。

そして君はよくこの逆境に耐えた。

引退会見も立派で素晴らしかったよ。

君の相撲は、君が横綱に上がる頃から毎場所欠かさず全て録画してあるんだ。

でも毎場所恒例のその作業ももう終わり。

俺にとって『相撲の楽しみ=朝青龍の相撲』だったことを改めて思い知ったよ。

こうして心から君の相撲を応援していた日本人は大勢いることはわかって欲しい。

ただ残念ながら、否定のパワーは肯定のパワーに勝るので、声の大きい者(マスコミ)の否定の嵐の前には、肯定する小さな声はかき消されてしまうんだ。

だからどうか日本を嫌いにならないでくれ。

君のいない大相撲にはもう興味がわかない。

俺は朝青龍が大好きだったんだ。

本当に今までありがとう。

楽しかったよ。

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この笑顔はもう見られない…