ちょうど二十三夜の月だった。
ここ数年、冬の訪れを告げる恒例行事になったこのイベント。
岸田劉生、いえ、獅子座流星群がまた今年もやってきた。
ここ二年続けて、蓋を開けてみれば事前の予想を裏切り、気の抜けた不発弾のようだったこともあり、今年は世間では静かにこの夜を迎えた。
とはいっても、東京にいてはまずほとんど見ることのできない流星が、確実にいくつかは見られるまたとないチャンスでもある。
そして何よりも、普段ともすると存在を忘れてしまっている夜空の星を顧みるきっかけになる日でもある。
今年も深々とした夜寒に乗じて、夜更けの外気に身を晒してみた。
空は驚くほど澄んでいて、鋭くとがった漆黒の冷気の中、いつにも増した緊張感を伴って無数の星が散らばっていた。
あの有名な星座たちは、それでもやはり変わることなくいつもの場所に存在して、奇妙な安心感を与えてくれた。
そしてその中心には、あたかも空いっぱいに敷き詰めた暗幕に誤って半円形の穴を穿けてしまったかのような、旧暦二十三夜の下弦の月。
それは暗幕の向こう側に広がるであろう光の世界を、ほんの少しだけ垣間見せてくれているかのような錯覚を感じる程、まばゆい光を持って静かに輝いていた。
『月に眩む』
こんなこともあるんだと思った。
それは正に獅子座の方角に位置し、そのあまりの明るさにしばしば目が眩みながら、それでも一時間足らずの間に細筆でさぁっと線を引いたような流星が6つ。
どうも毎年『降り注ぐシャワーのような』というわけにはいかないけれど、『いつもの空』が『そこにある』という不変の事実にはただひたすら感謝するしかない。
そんなあたりまえの気持ちを改めてほんの少しだけ実感できた夜空が、もうすっかり白くなった吐く息に煙ってひっそりと広がっていた。
ちょうど二十三夜の月だった。