~『5.20 Live報告 BiJoTamaず』より続く~
さあそして、ペーソス艦隊でございます。
歌う青年将校リリー武志と最低司令長官チェリー福田のステージは実に5年振り。
そもそも事の発端から話を始めると、大きなきっかけは昨年の3月11日東日本大震災。
その数ヶ月後、車で宮城から青森まで津波被災地を約一週間かけて訪れた。
そのどこまでも続く果てしない瓦礫の山、ほんの数カ月前までそこに沢山の人が住み、暖かい人間関係と愛すべき平和な日常が営まれていたとはとても信じられない光景に我が目を疑った。
その被害の範囲の広さはテレビを見ているだけでは実感できなかった。
三陸沿岸の町という町がどこまで走っても走っても果てしなく全て壊滅している光景。
この光景は自分の人生観を激変させるには十分すぎる体験だった。
つい昨日まで当たり前のようにそこに存在した日常が、愛する人々が、一瞬にして全て根こそぎ消滅してしまう。
旅行中、そして帰ってからも常に頭の中がこの考えで占有された。
歴史的に見ても地震は連鎖する。
それに加えてこの原子力災害。
この日本で人が立ち入ることができない地域ができるなんて考えたことすらなかった。
つまりは当たり前のような日常は当たり前のようにいつまでも継続はしない。
それはいつどこで一瞬にして断ち切られるかはわからない。
そういう時代になったということだ。
それならばいつそうなってもその瞬間に悔いの残らない生き方をしたいものだ。
自分にとってそれはやっぱり音楽であり作品である。
音楽を作るからには、もう売れるとか何々風とか考えずとにかく自分の納得する作品を残したい。
今までたくさん曲を作ってきたけれど、その中でも最も自分が納得できる作品を作れたのが、リリー武志と鬱金香と作ったペーソス艦隊。
リリー武志の歌は常に自分の求める以上の結果を作品にもたらしてくれた。
五年前志半ばで中断しているペーソス艦隊の作品をもっと極めたい。
これが今回の震災を経て自分で出した自分の音楽人生への答えだった。
早速リリーさんにこの構想をメールで話すと快く了承してくれた。
それどころか「またチェリーさんの曲を歌いたい!」という何とも嬉しいメッセージ付きで。
なので同じ時期いくつかあったお誘いを全て丁重にお断りして、曲作りに専念することにした。
とはいえ去年一年はせっかく手に入れた車で色んな所を旅して見聞を深めることに力を注ぎ、晴れて今年からペーソス艦隊としての活動を始めることにした。
活動とは言っても以前のようにライブ活動をするわけではなく、あくまでリリー武志と鬱金香とチェリー福田による楽曲制作ユニットとして。
時間をかけて納得の行く作品を作り、その成果をネットで発信していく。
まだ具体的な方法は模索中だけど、まずははとにかく楽曲作りに専念。
そんな意識をすっかり固めて、去年の暮に満を持して明大前のガストで久しぶりにリリーさんと会ってゆっくり話した。
久しぶりに会ったリリー武志は昔と変わらず、いやそれ以上にナイスなガイだった。
↑ちゅ~☆が作ったオープニング動画