1972年、あの連合赤軍事件が起きたのと同じ年に、早稲田大学構内で学生が革マル派によるリンチの末に殺される事件が発生した。
当時の早稲田大学は革マル派が自治会を支配し、大学側に全学生から自治会費を代行徴収させ、それを活動資金として分捕り、更には語学の授業時間の半分を「我々が勝ち取った権利」と称して乗っ取り、活動アピールとオルグの時間に充てるというやりたい放題。対立する者には容赦ない暴力で封殺していた。
この本で描かれる当時のキャンパスはあちらこちらで革マル派による「検問」が実施され、突然無防備の学生に集団で襲いかかるなど激しい暴力が白昼堂々公然とまかり通り、登校できなくなる学生が続出したという。
これではとても学問どころではない、現在では想像すらできない恐怖に支配された暗黒のディストピア状態ではないか。
本来大学というのは、学問の研鑽に励みつつ若き輝きに溢れた青春を謳歌する場所であるはずなのに、こんな暗黒の時代に大学生活を送る羽目になった学生たちは本当に気の毒としか言いようがない。
この本の著者は、この事件で殺された学生と同じ学部の1年後輩で、事件後革マル派に支配された従来の自治会に代わる新しい自治会を立ち上げ、革マル派と真正面で対峙した人物であるだけに、当時の学内の状況が事細かく記されている。
しかしその後彼も革マル派の襲撃に遭い、重傷を負って活動から離れることになる。
そしてその後長きにわたって革マル派対中核派での凄惨な内ゲバの時代が始まる。
ただし驚くべきことにこの早大での事件の被害者はノンセクトの一般学生だったようで、「内ゲバ」ですらなかった。
この本のクライマックスは、当時早稲田革マル派の中心的な位置にいた人物との対談。
彼はこの事件に直接関わってはおらず罪には問われなかったそうだが、当時の革マル派内では武闘派としてかなり有名な人物だったようだ。
そんな人物との50年ぶりの直接対峙は、核心を突こうとする著者の質問に対して謎の理論ではぐらかそうとする応酬のただならぬ緊張感に満ちていて非常に興味深かった。
自分が大学生だった80年代は既に学生運動はとっくに終焉していたが、自分の大学ではごくたまにその残滓とも言えるようなヘルメット姿の数人が追っかけっこをしているのを見かけたことがある。
とはいえその姿はもはやまるで天然記念物のようで、他の一般学生からは嘲笑の対象だった。
当時でも早稲田では革マル、法政では中核派がまだまだ幅を利かせているという噂は聴いていたが、実際のところはよく知らない。
自分も高校生くらいの時は、その年頃にありがちな反体制にかぶれる(恥ずかしい・・・)時期に学生運動にシンパシーを感じたこともあったが、その後自分なりに興味を持って色々な文献を読むにつれ学生運動の血塗られた実態を知り、大学に入った頃には全くそんな幻想は消え失せていたのは幸いだった。
当時の学生運動に共通するのは、自分の理論こそが絶対的に正しいとする傲慢な独善性と、それ以外の他者へ対する不寛容さだろう。
自分の理論に少しでも反する者は徹底的に批判し暴力すら辞さない。
結果的に攻撃の方向が内側に向き、粛清や内ゲバに発展するのは必然なのだろう。
それは歴史的に見てもまずイデオロギーありきの共産主義という思想には例外なく付きものであり、共産主義思想自体が持つ根本的な欠陥だというのが自分の結論だった。