スーパーの果物売場の棚の片隅で、25年振りの再会にもかかわらず、まるで見つけられるのを拒むかのようにそれは身を堅く息を潜めてこちらを窺っていた。
枇杷。
この、時代に取り残されたような果物を最後に食べたのは25年前。
かつてあんなに身近だった食べ物が、今となってはすっかり記憶の彼方に追いやられ、スーパーで偶然見つけるまではその存在すらも忘れてしまっていた。
小さい頃、夏休みに毎年母方の田舎へ帰省すると、そこの庭には祖父が育てた一本の枇杷の木が、少し季節遅れの実をたわわに実らせいつも出迎えてくれた。
甘さの中にどこか哀しげなほろ苦さを併せ持つその実を、兄と二人でむさぼるように食べ、土間に種を捨てては祖父に怒られた。
その頃の思い出は、主に嗅覚の中にある。
縁側の板張りの廊下の饐えた匂い、台所の大きな瓶の中の糠の匂い、風呂を焚く薪の匂い、掘りごたつの炭火の匂い、あまり手入れされていなかった盆栽の表面にびっしり生えた苔の匂い、真空管のラヂオの埃が焼けるような匂い、大事に取ってあった皇太子ご成婚の時の雑誌の記念号の古い紙の匂い、汲み取り便所の堪え難い匂い、家の前を流れるどぶの匂い、毎朝リヤカーを引いて野菜の行商にやってくるおばあさんの汗の匂い、そして、見かけぬ顔の東京モンに「おめぇ何年だ?」と声を掛けてきた地元の小学生に対して、何も言えずに走って逃げ出した時の夕立ち上がりの水溜まりの匂い…。
そんな時、祖父が死んだ。
人の死についてまだ実感がなかったのか、葬式の時騒いで怒られたのを覚えている。
そして次の夏。
物静かだが厳しかった祖父が、もういつもの場所にはいなかった。
そして、毎年あれだけ沢山の実をぶら下げて出迎えてくれた枇杷の木には、一つも実は成らなかった。
それまでは、東京にいる時でもよく母が買ってきて食べていた枇杷だったが、それから母は買ってくることをしなくなった。
その後、古い家も建て替えられ、枇杷の木も二代目になり、随分大きくなっているらしい。
枇杷はそれ以来食べていない。
今年は食べてみようか、とも思う。
あれから25回目のお盆がやってる。