チェリーの音楽幕府

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白鵬引退

ついに横綱白鵬が引退した。
幕内優勝45回、うち全勝優勝16回、通算1187勝、63連勝、という凄まじい記録を挙げるまでもなく、その全盛期の長さも含め、大相撲の歴史上他に類を見ない大横綱である。

その相撲ぶりは、人並外れた体力と柔軟な肉体から繰り出される立ち合いのスピードからの出足、そして突いてよし、組んでよし、投げてよしと欠点の一つも見当たらない圧倒的強さは、ライバルの並び立つ余地のないほど他の力士との力の差は生涯通じて常に圧倒的だった。
人並外れた稽古量に加え研究心も旺盛で、格闘技としての相撲を徹底的に探究し尽くした、力士としての究極的存在であろう。

しかしその圧倒的強さがすなわち「名横綱」としての評価につながるかと言えばそれは甚だ微妙なところがある。その理由はもちろん横綱在位中の数々の物議を醸した言動によるものだ。
今まで自分も何度も言及してきたが、もう引退してしまったので今更それをあげつらうことはしないが、この数々の言動により世間が諸手を挙げて大横綱を称えるという雰囲気になりづらくなっているのは間違いない。

しかし改めて振り返ってみると、この言動の原因は白鵬自身の目指す「強い横綱」像と、協会や相撲ファンが求める「立派な横綱」像とのギャップが最後まで埋まらなかったことにあるように思う。

白鵬が度々口にしていた言葉に「横綱は神様のような存在」というのがあったように記憶している。
彼が目指したのはその「神のように尊敬され讃えられるべき存在」であり、横綱というのは常に強い存在でなければならないという強い意志を持って努力を重ねた。
その努力の結果強い横綱になったのに、何故かいつも批判される。
それならとさらに鍛錬を重ねてもはや敵がいないくらいの誰にも負けない横綱になったのに、やっぱり批判される。
何故だ?
自分はこんなに強いのに何故尊敬されない?讃えられない???
というギャップに最後まで悩まされたのではないだろうか。

白鵬自身もそのギャップを埋めるために過去の横綱のことを調べたり、相撲の歴史そのものを日本人以上の熱心さで研究していたであろうことがよくわかる。
しかし最後までそこが埋まらなかったのは、身も蓋もないがやはり「国民性」としか言いようがない。
白鵬が思い描いていた横綱像は恐らくチンギス・ハーンのような圧倒的な強さを讃えられる無敵の英雄。
しかし多くの日本人の英雄像は天皇陛下のように決して強さは誇示しないで国民の平安を常に静かに祈り続けるような謙虚な姿。

そこのところは先輩の朝青龍も最後まで理解できなかったように、必死に理解しようと努めた白鵬ですらもどうしても埋まらなかった溝のようだ。

更に白鵬にとって不幸だったのは、偉大な先輩横綱であり人生の師と仰いだ大鵬氏が早くに亡くなってしまったこと。
自らの思い描く横綱像と求められる横綱像とのギャップに悩み始めた時、もし大鵬さんが健在だったらきっとその悩みも自らの経験に基づいた適切なアドバイスで解消されていただろうと思うと悔やまれてならない。
更には大横綱の先輩として白鵬に叱責と助言をすることができた北の湖千代の富士もその後相次いでこの世を去り、唯一残った貴乃花とも距離があったようで、ついには協会を去ってしまった。
そして最強のライバルであり先輩であり反面教師であった朝青龍もいなくなり、尊敬できる先輩やライバルなどの白鵬を叱ったりアドバイスできる人が誰もいなくなってしまい、若くしてたった一人で相撲界を背負って立つ「神」になってしまった。

長い間白鵬は誰にも相談できず孤独な「神」だったのだ。

そんな孤独な中、これは自分の想像だが、ある時期には近づいてくる人の中に殊更にありもしない「差別意識」を吹き込んで分断を図る者もいたように思う。

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そして晩年の相撲で問題になった肘打ちなどの荒っぽい相撲。
この理由も会見を聴いてその理由がようやく腑に落ちた。
全盛期が過ぎて故障が多くなり以前のような相撲が取れなくなった。
しかし「横綱とは常に勝ち続けなければならない」「横綱が負けたら即引退」という強迫観念に近い高い理想を持つ彼にとって負けることは絶対に許されない。
そこでなりふり構わずどんな手を使ってでも勝たなければいけないという意識の表れがあの肘打ちや張り手だったのだろう。

しかしこれも不幸なことに、普通の横綱であれば自分の全盛期の相撲が取れなくなった時点でもう勝てなくなるのでそこで引退するところを、白鵬の場合はあまりにも他の力士との力量が違い過ぎるが故にそこそこに勝ててしまっていたのだろう。
そんな状態でも取りこぼすことは絶対に許されないので、相撲の美しさよりも何がなんでもとにかく「勝つこと」に拘り続けたということ。
その辺もあまりに強過ぎるが故に相撲を取る白鵬自身とそれを観るファンの意識のズレが広がる原因だったのではないだろうか。

白鵬が後の世に「名横綱」として語り継がれるかは、今後の親方としての生き方にかかっている。
やはり同時代に生きるものは首を傾げたくなるような言動や、荒っぽ過ぎる相撲の印象は強いが、それも時間が経てば残るのは圧倒的な記録だけ。
指導者としての力量も、もう既に炎鵬や石浦や北青鵬などを見ればその抜群の指導力は明らかだ。
今後は白鵬杯などで才能を発掘し、更に優れた力士を本格的に育ててくるだろう。

何より相撲に対する探究心と愛情は他のどの日本人力士よりも深いものを感じた力士である。
現役最後の場所を全勝優勝で終えたというのも、他の誰にも真似できない彼なりの美学だっただろう。
現役時代の様々な問題はひとまず置いておいて、今後の指導者としての間垣親方に期待したいと思う。

長い間お疲れ様でした。

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