チェリーの音楽幕府

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アニメ『進撃の巨人』完結

アニメ『進撃の巨人』がついに完結を迎えた。

言うまでもなく足掛け10年にも渡る超大作だが、自分がこの作品に出会ったのは随分遅く、ほんの2年前。
しかしそれからというものこの作品にどっぷりとハマり、アニメはもちろん原作コミックも全巻買い揃え、しかし結末だけは読まずに我慢して、ついに待ち侘びたこの日がやってきた。
これほど夢中になったアニメは自分にとって初めてだ。

こんな歴の短い自分でさえこうなのだから、開始当初からずっと観てきた人にとってはいかほどの感慨だったことだろう。

前半の未知の巨人に対して研究を重ね秘密を明らかにして対策し戦う物語もとても面白かったが、特に後半、舞台がマーレ国に移ってからがこの物語の本領で、巨人の秘密が明らかになる中でそこに民族国家の歴史や思想などの要素が入ったことで更に奥深さが増した。
その分難解さも増し、自分は一度観ただけでは理解できずに解説サイトなどの力を借りたことも度々あったが、そこに幾層にも織り込まれた要素の周到さと重厚さにはただただ驚嘆するばかりだった。
これほどの壮大なストーリーを連載開始当初から構想していたと言われる原作者諫山創氏の頭の中は一体どうなっているのだろうか、尊敬の念しかない。

圧倒的な相手に対峙する無力感と絶望感、無能な支配者と愚かな大衆、捏造される歴史、憎悪の連鎖、「不戦の契り」の意味、国家とは、人種とは、そして戦争とは、平和とは、戦う意味とは等々、人類が遠い過去から現在に至るまで抱え続けるリアルな矛盾を徹底的に描いた歴史的な傑作と言っていいだろう。

特にこの物語で最初から最後まで最も執拗に描かれていたのは情け容赦のない絶望だ。

エンディングのタイトルバックの映像で、恐らくはミカサやアルミンの死後長い年月が経過した後の世界(現代?)においても結局また戦争を繰り返しており、人類の争いは常に終わることがなく、正義の観念は双方にそれぞれ存在し、憎悪の連鎖は永遠に続くという絶望感はまさに象徴的だった。

さてこれほどの超大作が終わって、喪失感よりも今は大きな満足感に包まれている。

これから読むのを中断していたコミックをまた最初から読み直し、更にはアニメもまた最初から見直したりと、しばらくはこの余韻から抜け出したくない。
おっとその前に最終話をもう一度見直そう。