チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

3月30日  -或る日常-

昼下がり、住宅街のファミリーレストラン

急速に進んでいた春へのいざないもここ数日は小休止しているやうで、小さな都市河川沿いの桜の花も、一旦顔を出しかけたものの、さてこのまま一気に繚乱へと突き進んでよいものかと、少し躊躇している様子。

窓の外の幹線道路を行き交う車の音も、今日はなんだか所在無げに、最近では幾分義務と化してしまった変拍子を無表情に奏でている。

店の中では、幼い子供を連れた近所の主婦達が、自分の不幸さを常にその中での下から二番目に置こうとお互い牽制しあいながら亭主のグチをこぼしあっていて、そこそこ賑わっている。

そんなどこにでもある日常。

そこにアイツはやってきた。

歳の頃は三十そこら。毛玉の沢山ついたタートルネックのセーターを着てることから、身なりを気にしないこの男のだらしなさが即座に見て取れる。平日のこんな昼間に、今起きたばかりといった感じの魚のようにうつろな眼をしたこの三十男、少なくともまともな人生は送っていないだろう。

窓際の席に座ると、先入観がそう見せるのかも知れないが、それにしても見るからに汚らしいニットの帽子を取った。そこに現れたのは、毒々しいピンク色の頭だった。このことからもこの男の趣味の悪さが伺える。

とりあえずこの店で一番安いランチセットを注文するとこの男、おもむろにカバンの中からヨレヨレの雑誌を取り出した。何を始めるのかと思って見ていると、ちびて丸まった鉛筆で猛烈な勢いで一心不乱にゴシゴシ何かを塗り始めた。ウェイトレスが注文の品を運んで来ても見向きもせずに塗り続けている。

ふと顔を上げて目の前に並んだ食事に気がついたらしく、面倒臭そうに食べ始めるが、視線は常に雑誌に注がれ、いかにも底の浅い思案の表情を浮かべるふりをしている。と、突然何かに気づいたらしく、持っていたフォークを投げ捨て、ちびた鉛筆を手に持ち替えるやいなや再び猛烈な勢いで塗り始めた。

そんな風にしてたっぷり小一時間を掛けてやっと食事を終えた。料理もすっかり冷めてしまっていただろうにこの男、そんなことには興味がないようだ。

再び一心不乱に塗り続けていたが、しばらくすると突然ピタリとその手が止まり、しげしげとその「絵」を近付けたり遠ざけたりしながら眺めだした。どうやら何かの絵が完成したようだ。ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら頷いたりしている。得意気に周りを見渡すが、誰もそんな彼に関心を持つ者がいるわけもなく、再び本に目を戻して一人ニヤニヤしている。

しばらくすると満足したのか、その雑誌とちびた鉛筆を大事そうにカバンにしまい、ワサワサ大袈裟なホコリを巻き上げて上着を着、ヨロヨロとレジへと向かって去って行くのだった。

 本当に気味の悪い男だった。

 こんな奴とは絶対に友達になりたくないと心に誓った、春間近の昼下がりだった。

ていうか、これ・・・、俺じゃんっ!

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呼んだ?