チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

10年目の3.11

あれから10年が経った。

東日本大震災。あの出来事は自分の人生においてそれまでの価値観を全てひっくり返し、それ以前とそれ以後の自分の人生を大転換させた。

それまでの自分は、自分をなんとか世間に認めてほしいといういわば承認欲求の塊だった。
別の言い方をすれば、自分の人生の価値を他人の評価に委ねていたと言ってもいいだろう。
その為には会いたくない人にも会いに行き、酒が一滴も飲めないくせに行きたくない飲み会にも参加し苦痛に耐えた。
それが認められたい自分にとって必要なことだと思い込んでいた。

しかし若い頃は愚かにも気がつかなかったが、歳をとるにつれその自分の強い承認欲求と実際の自分の才能とのギャップの開きに否応なしに気づかされ、叩きのめされるばかりになっていた。
いつしかあんなに好きだった音楽が、世間に自分を認めさせるための手段になってしまっていた。
しかしそれでも「自分には音楽しかない」という思い込み、いや執着と言っていい、それに縋ってただただやっとこさっとこ生きながらえていたところにやってきたのがあの2011年3月11日の大震災。

あの日、自分の住んでいた埼玉でも地震の揺れそのものはもちろんこれまで体験したことのない強いものだったが、それ以上にその後テレビに映し出される津波の映像が衝撃的だった。
今まさに画面の中で家や人や車が圧倒的な自然の脅威の力でなす術もなく流されていくのを、ただただ眺めることしかできない無力さと絶望感。

それだけでも人生観を変えるには十分な出来事であったが、その半年後、実際に被災地を巡って実際の光景を目の当たりにすると、その時の感覚はあくまでテレビの中の出来事でしかなかったんだということを思い知らされた。

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震災後半年経ってはいたが、まだまだあちこちに瓦礫が散らばり、横倒しになった建物やぺちゃんこに潰れた車などがあちこちに転がり、途方もない瓦礫の山がどこまでも果てしなく続いていた。
それは廃墟、いや廃墟ですらなく、街が丸ごと消滅してしまった荒野のようであった。
ついこの間までそこには人々が暮らしを営み、大勢の人々が笑い、温かい家庭と生活に溢れる活気ある街だったことが全く想像すらできないほどであった。

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 しかもそんな光景は一つの街に限らず、海沿いの道を車を走らせていると次から次へと目前に現れ、三陸沿岸のほとんどの街が壊滅的な被害を被っていた。

目で見た光景と同時に、この時感じた誰も人影の見当たらない街の不気味な静けさ、瓦礫を片付ける重機の音、そしてあの独特の何とも言えない「におい」は一生忘れない。

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毎日当たり前のようにやってくる日常、楽しいことも辛いことも毎日過ぎていくことに何の疑問も持っていなかった。
しかしそんな当たり前の日常が、ある日突然圧倒的な力で奪い取られ、当たり前にあった生活が一瞬にして失われるということを、震災からこの旅を経てまざまざと思い知らされた。

自分にもいつそんな日が突然訪れるかもわからない。
自分はその瞬間に、一体何を思うのか。
これまでの人生を後悔することなく感謝の気持ちで終えることができるだろうか。

そんなことを帰ってから何日も考え続けるうちに、これまでの自分の人生の価値を他人の評価に委ねていた生き方が突然馬鹿馬鹿しくなってきた。
いつ人生が終わっても後悔しないように、これからは自分の人生を自分で楽しもう。
人生の価値観の大転換だった。

その3年後にしがらみの多い生まれ育った東京を離れ、富士山の麓に移住を決行した。
若い頃から「歳を取ったら富士山の近くに住みたい」というのはぼんやりと考えてはいたが、それを20年ほど前倒しにした。
ここなら毎日大好きだった雄大な富士山を眺めて生きることができるし、誰も自分のことを知らないので誰にも会わずに生涯の伴侶と二人きりで暮らせるし、こちらで新たな人間関係を築くこともできる。
そして何より他人に評価されたい為にではなく、これからは純粋に自分のために音楽を作ることができる。

実際こちらに来てからは、これまでのように他人の言葉や評価を全く気にすることがなくなり、心の重圧やストレスからは見事に綺麗さっぱり解放された。
あの長い間思い悩んでいた日々は何だったのか。

人生の終わりが突然訪れても、その瞬間に一片の後悔なく笑顔で「あー面白かった」と言えるように。
これからそれに向けてまだまだ準備を整えていきたい。

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