チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

巨星墜つ

ここ最近、自分の若い頃に大きな影響を受けた人物の訃報が相次いでいる。
それはもちろん偶然でも何でもなくて、自分が「そういう年齢」になってきたということだ。

そんな中、ついに自分にとって最大級の衝撃が襲いかかった。

坂本龍一死す。

思い返せば小学校6年生の秋、家でたまたま観ていたNHKの『ニュースセンター9時』の特集で初めてYMOの存在を知り、時を同じくして当時毎日聴いていたラジオの『スネークマンショー』(TBSラジオ『雄二・小朝の夜はともだち』内)で今まで聴いたことのない摩訶不思議なYMOの音楽に徐々に触れるようになり、決定的だったのは中学1年の春にクラスメイトの西沢くんの家で当時まだ目新しかったSONYウォークマンにたまたま入っていたカセットから大音量でテクノポリスのイントロが流れ出した瞬間、耳の中から脳みそが溶け出して全宇宙を覆い尽くすような自分の人生の中でも最大の衝撃的感覚に襲われた。
それ以来自分の人生は坂本龍一YMO一色に完全に支配されてしまった。

特にこの初めて聴いた12歳から20歳までの10代の8年間の坂本龍一は、紛れもなく自分にとっての神であり、24時間寝ても覚めても彼の音楽を貪り、一挙手一投足全てを崇拝していた。
実際この頃はYMO以外にもソロワークや、大貫妙子矢野顕子など他人の編曲の仕事においても常に斬新な試みをしていて、どの作品でも毎回それまで聴いたこともないような新鮮な驚きの連続だった。

自分にとって最も影響されたのは、やはりその卓越したハーモニー感覚だ。
その響きはそれまで聴いていた日本の歌謡曲やロックには全く見られない響きだったが、中学生の耳コピーではどうしてもその響きが得られず、奮発して譜面を買ってついにそのハーモニーの秘密を知った時の驚きと感動は忘れられない。

もう一つは何といってもシンセサイザーの独特な音色だろう。
特にそれ単体で聴くと全く正体不明なノイズのような音を効果的に使うのが実に巧妙で、そのノイズ系の音が彼の作品を独特な響きにする重要な要素なのだが、この秘密に関してはいまだに自分にとっては解き明かすことのできない永遠の謎だ。

自分がその後憧れの一心で見よう見まねで習ったこともないのに鍵盤を触るようになり、20代になり音楽を志すようになってから(90〜00年代)は以前のように夢中になって追いかけることはあまりなくなってしまったが、それでも常に彼の動きは注視していた。

それがまたまるで自分のルーツに還るかのように彼の音楽に戻ってきたのが2010年、これもやはりかつての盟友大貫妙子との『UTAU』を出した頃。
この頃には以前のようなシンセサイザー中心の音作りはすっかり影を潜め、生ピアノ演奏が中心になっていたが、実を言うと昔の彼のピアノはガツガツしすぎていて正直あまり好きではなかった。
それがどうだ、久しぶりに聴いた彼のピアノの響きは以前とは比べ物にならないくらい深みを増した優しい響きになっているではないか。
これをきっかけに離れていた90〜00年代の作品も遡って聴くようになり、現在に至った。

これほど心酔した坂本龍一だが、唯一、彼の70年代の学生運動をそのまま純粋培養したような政治的発言には残念ながら自分は何ら共感や賛同できる部分はなかった。
しかしそれとこれとは全く別の話で、彼の思想は彼の生み出した音楽を何ら一切貶めるものではない。

それほどまでに崇拝し、彼の生み出す音を貪り、その一つ一つを血肉と化し、自分が音楽を志すきっかけとなった彼の死は、自分の心に巨大な空白を生み、しばらく立ち直れなくなるだろうと長年恐れ慄いていた。
ついにその日が来てしまったが、いざそうなってみるともちろんショックは大きいが、意外にも自分の心は穏やかなままだった。

それというのも、闘病期間が長かったこと、そして昨年暮れに「これが最後になるかも」と言う自らの言葉とともに本当に最後となった演奏を配信し、痩せ細った姿を見せてくれたことで、かなり覚悟ができたところが大きい。
それに加えて、盟友高橋幸宏の死のショックがまだ冷めやらない中で自分にとってそのショックが分散されたこともあるだろう。

今年に入って高橋幸宏坂本龍一という自分にとって最も偉大な音楽家が立て続けに亡くなり、否が応でも一つの大きな歴史の終焉を意識せざるを得ない。

この二人(もちろん細野さんも)の存在が10代の自分にもたらしてくれた喜びと刺激と感動はどれだけ感謝してもしきれるものではない。

本当にありがとうございました。
どうぞ安らかに。