チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

『ブラッド・ダイヤモンド』(2007)

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アフリカシエラレオネでダイヤモンド採掘をめぐる苛烈な内戦と、それに関わる外国人ブローカーの物語。

戦のシーンはかなり残虐な部分もあり、目を背けたくなる。
そもそもその内戦も高値で取引されるダイヤモンドの密輸のために外国人ブローカーが武器を売りつけることで泥沼化しているもので、ダイヤモンド採掘に当たっては奴隷まがいの強制労働がまかり通っている。

そして何よりショッキングなのは、親から引き離され薬物と洗脳で殺人兵器化された少年兵たち。

日本では中々報道される機会のないアフリカの内戦とその背後にうごめく利権をリアルに描き、息つく間もない展開で非常に見応えがあり、考えさせられる映画だった。

『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)

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幼少時代に映画に魅せられた少年が、街の映画館の映写技師と仲良くなり、やがて挫折と別れを経験し街を離れ、その後成功を収めたのちに数十年ぶりに故郷に帰り、かつての記憶の跡を辿り、人々の思いを知るという、ベタではあるがとにかくノスタルジー満載の映画。

まだ他に娯楽が少なかった時代、街の映画館に溢れんばかりに集まった人々が、泣き、笑い、歓声を上げ、全身全霊で映画に没頭する姿は非常に興味深い。
当時映画というエンターテインメントはさほどに人々を夢中にさせる力を持っていたのだろう。

エンニオ・モリコーネの音楽もまた素晴らしい。
そして何より故郷シチリアの風景と街がたまらなく美しい。
そしてイタリア語の響きもいい。これは是非とも字幕版で観るべきだろう。

いつかまた自分が人生を重ねた時に観てみたい映画となった。

「Jewel Anniversary LIVE 2010-2020 THIS IS ME」

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12月8日に渋谷O-EASTにて行われた「Jewel Anniversary LIVE 2010-2020 THIS IS ME」に行ってきた。

本来であれば6月に行われるはずだったこのライブ、コロナ禍により約半年の延期を余儀なくされ、12月に行われることになった。
しかし半年経ってもコロナ禍は収まる気配はなく今回も開催が危ぶまれたが、できる限りの対策をとってどうにか開催に漕ぎつけることが出来た関係者の努力には敬意を表したい。

そんなこともあり、個人的には実に1年ぶりのJewelさん。
期待ももちろん大きかったが、長期にわたる自宅待機時間を含め、長い自粛期間を経て彼女たち自身も思うように練習もままならなかったのではないかという不安もあった。
自分も直前まで行くべきか否かの葛藤をしていたわけで、正直言って色々な思いかないまぜになったままでこの日を迎えた。

しかしライブが始まり大人っぽいジャケット姿の彼女たちがステージに登場した瞬間に、そんな不安は全て消し飛んでいった。

約1年ぶりに生で観たJewelの3人は、以前のようなただただ若さにまかせたひたむきながむしゃらさから脱皮して、楽曲を丁寧にこだわり抜いて表現し、魅せる大人のグループに成長を遂げていた。

もっとも目についたのは、歌もダンスも「押し」と「引き」を明確にしたメリハリの部分。
かつてのように終始パワー全開さは影を潜め、抜くところは抜き、押すところは押すことによって、より表現力が増していた。
去年あたりからその傾向は目についたが、今回1年ぶりということもあって更に確固たるものを感じた。
歌のワンフレーズ、細かい音符一つ一つ、ダンスの一振り一振りの指先までに至る隅々まで彼女たちのこの日のライブに賭けた想いが伝わりすぎるほどに伝わってきた。

歌の技術面で言えば、例えば『Jewel』でのMOMOKAさんの「最高の瞬間を」の「を」、「最後の最後まで」の「で」、「君となら行けるどこだって」の「て」の上がる所が、しゃくり一切なしてどれも一発でスパーンと綺麗に当たるのがとても気持ちいい。

その他にも上ずりがちな低音部分もあれだけ動きながら3人ともしっかり丁寧に当てていたし、ハモリはもちろん、ハモリ以上に難しいユニゾンの綺麗さには感心した。全く揺らぎなく美しく溶け合っていた。
音符一つ一つのピッチを徹底的に洗い直していることがよくわかる。
曖昧な部分を徹底的に排し、揺るぎない自信を持つまで何度も練習を繰り返したのがうかがえた。

お馴染みのバンド演奏も毎回本当に素晴らしい。
彼女たちのメジャーデビュー以降の全48曲を披露するという今回の目玉企画を実現するための、キーもテンポもコード進行も異なる色々な曲をまとめあげた佐々木望氏によるマッシュアップアレンジもお見事だった。

そしてライブ終盤にはMOMOKAの口から「6月のライブで1000人入らなかったら解散すると決めていた」という衝撃発言が飛び出し、発声を禁じられている場内は凍りついた。
通常のライブだったら悲鳴が上がって騒然としていたことだろう。
結果的にそれはコロナによって幸運にも(?)立ち消えたわけだが、それほどの決意を持っていたのかと改めて彼女たちの覚悟を思い知ることとなった。

しかし売り上げも動員も、全て本人たちの努力以上にプロデューサーの方針、レコード会社のプロモーション、事務所の力、そして何よりタイアップなどの「運」による複合的な作用の方がずっと大きい。
モチベーションを高めるために高い目標を持つことは大事だが、それが結果的に自縄自縛となり、あたかもペナルティのように自ら自分たちの可能性を摘んでしまうことがあってはならない。
これほどの素晴らしいライブを作り上げた彼女たちに「努力が足りない」などという人は誰もいないだろう。
どうかあまり自分たちを追い込まないでほしい。

そんなこんなで色々あったが、結局今回も「Jewelのライブは常に過去最高」を更新してくれた。
あまりに良いライブだったので、帰宅してからもネット配信のアーカイブを何度も観てしまった。
これほどの完成度の高いライブ、このまま多くの人の目に触れないままにするのは非常にもったいない。
是非とも出し惜しみすることなく、YouTubeでどんどん公開してもらいたい。
解散などという究極の選択肢まで視野に入っているのなら、これくらいは当然できるだろう。
彼女たちの渾身のライブは、必ずや人の心に訴えかけるものを持っている。
実際自分も彼女たちにハマるきっかけはYouTubeでのライブ動画だった。

これから世の中がどう動くのか誰も予測ができない中、Jewelも例外ではなく今後の予定が発表できない状態なのは残念だが、どうか彼女たちの姿が多くの目に触れることを祈っている。


【感動】J☆Dee'Z、涙のラストライブ! “あと一歩” LIVE at duo MUSIC EXCHANGE(2019.06.13)


【LIVE】Jewel “前へ” LIVE at duo MUSIC EXCHANGE(2019.06.13)

 

最後に。
今回のライブ後半の衣装は過去最高だった!
できることならこの衣装を2年前に見たかった…😅

『ジュマンジ』(1995)

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サイコロを振って出た目のコマに記されている出来事が本当に起きてしまう、世にも奇妙なスゴロクのお話。

設定も面白く、好奇心を沸き立て、ファンタジーやホラー要素もあって、前半は一体何が起こるのかワクワクしてとても楽しく見ることができた。

しかし後半実際にゲームが始まってからは、次々と起こるとんでもない出来事に最初は目を見張るが、それも何度も続くと段々飽きてきてしまい、画面はやたらと派手だがひたすらワーワーキャーキャーとやかましいばかりで、わかったわかった、もういいよ、となってしまった。

展開もめまぐるしく、奇想天外な出来事が起こるので、子供が観たらとても楽しめると思う。
子供の頃に観たかったな〜。

女の子は可愛かったよ。

連続テレビ小説『エール』を観終えて

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『エール』が終わった。
途中コロナの影響で長期間の撮影中断があったりして当初の構想からはかなりかけ離れてしまったであろうことが容易に想像されて気の毒だったが、それを差し引いたとしても失敗作だったと言わざるを得ない。
最も致命的だったのは、登場人物に「この人をもっと見てみたい」と思わせてくれるような魅力的な人物が一人もいなかったこと。
主人公を含め、それぞれの役作りがことごとく上手くできていない気がした。
演出もコミカルな部分を強調しすぎて、作り手側の「どうだ?これ面白いだろう?」という傲りを感じてしまった。

当初は作曲家が主人公ということでもっと音楽を生み出す過程を描いてくれることを楽しみにしていたが、それよりも家族や友人とのことが主軸になってしまって残念だった。まあ朝ドラというのはそういうものだが。
それにしても主人公ほったらかしで他の人物中心のスピンオフ的エピソードがあまりにも多過ぎたのはいかがなものかと思う。

コロナの影響で出演者の都合が付かず脚本も大幅に書き換えられたようで、最後の集大成とも言えるクライマックスの東京オリンピックがとんでもなく駆け足になってしまったが、その前の週にダラダラ時間をかけてつまらない娘の結婚話をやっていたのは一体何だったのか。
そして途中色々あったエピソードもほとんど回収されずにほったらかしのまま終わってしまった。

思い返せば、『あまちゃん』以降で自分が面白いと思った朝ドラってほとんどない。
強いて言えば『マッサン』と『ひよっこ』の前半くらいかな。
なので毎回思うことだが、自分は朝ドラに向いていないのではないか?
しかし現在並行して再放送中の『澪つくし』は抜群に面白いし、過去にも『おしん』『カーネーション』『てるてる家族』そして『あまちゃん』などどっぷりハマった名作もあるので、単に最近の朝ドラが面白くないだけなんだろう。
こんなことを繰り返しているので、そろそろ朝ドラを卒業したいと毎回思ってしまうのだが、次に控える2作『おちょやん』『おかえりモネ』のヒロインがそれぞれ自分が注目している杉咲花と清原果耶なので、これは観ないわけにはいかない。
まだ1年は観続けることになるのだろうなぁ😅

『ねらわれた学園』(1981)

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セーラー服と機関銃』を観た流れで、同じ薬師丸ひろ子主演のこちらも観てみた。
大林宣彦監督作品ということで期待していたが、うーんこれは…。
大林監督の後年の作品に見られる叙情性は大好きなのだが、ここではまだそれは見られず、ただひたすら安っぽい映像効果と、思わず赤面するような気恥ずかしい演出の連続で、とても観るに耐えなかった。
特にこの映像効果は、当時は斬新だったのだろうか?
自分の記憶では当時でもこれはかなり幼稚で子供だましのレベルだったのではないだろうか?

そしてこの何とも言えずこっ恥ずかしい演出はのちの大林作品でも時折見られるものだが、特にこの映画は全編それに満ち溢れている。

一番気になったのはアフレコのクオリティの低さ。
映像と音が噛み合っておらず、かなりこれは萎えるポイント。

そして主演の薬師丸ひろ子も、今見るとさほど可愛くない。
むしろ今の方がずっといい。

唯一評価できるのは、80年代当時の学生たちの雰囲気が捉えられていることだろうか。
しかしここも個人的な話にはなるが、この映画が公開された81年というのはまさに、自分にとってその後長年にわたって自分を支配し続けることになる厨二病発症の時期で、この時代の雰囲気はそんな自分の封印したい記憶を呼び起こしてしまうわけで、そういう意味でも観るのが辛かったというのもある。

何にせよ、いろいろな意味で観るのがこっ恥ずかしく、いたたまれない気持ちになってしまった。

物語の舞台となっている新宿中央公園周辺の風景は、当時よく自転車で遊びに行っていたので懐かしかった。

ちなみに主題歌は松任谷由美の『守ってあげたい』。
この映画だったか!
この曲で再ブレイクし、その後80年代という時代そのものをリードしていくことになるユーミンの記念碑的楽曲であった。

大相撲11月場所

例年は九州で行われるはずが、今年はコロナの影響で両国国技館で開催された大相撲11月場所。
しかし先場所に続き白鵬鶴竜の両横綱が初日から休場、おまけに期待された新大関正代と、優勝候補筆頭だった大関朝乃山が相次いで途中休場と、前半戦からいきなり暗雲が立ち込めた。

そんな中優勝したのは大関貴景勝
唯一残った大関としての責任を最大限に果たして立派だった。

そして最後優勝決定戦で敗れたとは言え、照ノ富士の相撲は連日鬼気迫るものだった。
特に10日目うるさい翔猿を両カンヌキで根こそぎ高々と吊り上げた相撲には度肝を抜かれた。
為す術なく釣り上げられた翔猿を評して解説の北の富士さんいわく「塩鮭だってもっと格好良く釣られるよ」は傑作だった。さすが。

この他にも、最後まで優勝争いに加わった幕尻の志摩ノ海をはじめ、隆の勝、大栄翔、北勝富士、琴勝峰、竜電といった活きのいい若手の活躍がめざましく、怪我から復活を果たした千代の国の姿も感動を呼んだ。

上位陣の休場が相次ぎ、一時はどうなることかと思われた今場所も、出場力士たちの力のこもった必死の土俵姿は並々ならぬ気合いを感じ、見応えのある場所となった。

しかし今場所の主役といえば、何といっても連日向正面溜席東花道沿いの決まった席で、いかにも高そうでセンスの良い清楚なワンピースとバッグで、十両の土俵から常に背筋をピンと伸ばしてずっと正座で観戦し続けたお姉さんだろう。

初日にいきなり真っ白なワンピースで、スカスカの場内でそこだけスポットライトが当たっているかのように異様な輝きを放っていて否応なしに目に留まったが、その後15日間毎日その席に座り続けて見事に11月場所皆勤を果たした。
その華麗なお姿は、今場所の寂しい相撲中継の画面をずっと華やかに彩ってくれていた。

個人的に今場所の優勝は15戦全勝でこのお姉さんに決定!

 

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うちの近所の北勝富士は毎日マスク姿で意識が高い



 

『セーラー服と機関銃』(1981)

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セーラー服姿の薬師丸ひろ子が、機関銃を乱射し、恍惚の表情で「カ・イ・カ・ン」と呟く。
あまりにも有名なこのシーンは当時一世を風靡し、学校の教室ではみんながこれを真似た。
TVCMでも散々流れたので、映画を観ていなかった自分も一緒になって真似していた。

この度ようやく約40年ぶりに初めて観ることができた。
一言で言うと、「セーラー服」と「機関銃」と言うミスマッチな組み合わせのインパクトただ一つだけで成り立っている映画だと思った。

主演の薬師丸ひろ子は時折ハッとする表情を見せることがあり、当時は確かに鮮烈な印象だったことだろう。
クレーンに宙吊りになってコンクリ漬けにされるような、アイドル映画としては過酷なシーンもあり、体当たりでこの役をこなしている姿は健気でもある。

しかし内容は正直言って退屈極まりなく、途中で何度も寝てしまった。
薬師丸ひろ子の演技もまだまだ稚拙で観ているのが辛い。
新宿の雑踏でマリリン・モンローばりにセーラー服の地下鉄の風でスカートが捲れ上がったところを群衆に囲まれるラストシーンも不気味で意味不明。

しかし有名な冒頭のシーンと、薬師丸ひろ子という女優をスターダムにのし上げたという意味で、40年前の1980年代という時代性を象徴するという意味で意義のある作品であることは間違いないだろう。

そしてもちろん薬師丸本人が歌うこの主題歌という永遠の名曲を残したことも。

Mac mini という選択肢

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待望のApple M1(Apple Silicon)搭載Mac、大方の予想通りまずはMacBook2機種とMac miniで登場。
ふむ、Mac miniか…。大昔はMac純正のディスプレイときたらメチャメチャお高かったという頭があるので今まで選択肢になかったが、それは昔の話で今は普通に市販のディスプレイに繋げるらしい。
そんな市販のディスプレイは21インチなら1万円台からあるのか!
今まで使っていたiMacと同じサイズの27インチの4Kモデルでも3万台で買えてしまうんだな。いい時代だ。
iMacは最大限に盛り込むとなんだかんだで30万超えてしまうが、Mac miniと市販ディスプレイの組み合わせだとメモリとSSDを最大限に増やしても、全部で20万以内で収まっちゃうってことか!
自分の中で俄然Mac miniという選択肢が急浮上してきた。
とは言え今はほとんど使っていなかったManBookAirを復活させてとりあえずは間に合ってしまっているので、来年iMacが出るまでのんびり考えてみようと思う。

『スタンド・バイ・ミー』(1986)

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自分は子供の頃からお小遣いというものを貰っていなかったので、映画館に行って映画を観るという習慣もなく、大きくなってからもアルバイトしたお金は全て楽器代に消えていったので、レンタルビデオ店でビデオを借りて家で観るということもなかった。
なので当時みんなが当たり前に観ていたであろう名作映画というものを実はあまり観てこなかったようだ。

それが最近風呂場の電気を消して真っ暗にして、ジップロックに入れたタブレットと防水スピーカーを持ち込んでAmazon primeの映画を観るという楽しみを覚えたことで、かつての名画を片っ端から思う存分観られるようになり、今はその時間がとても楽しみになった。

そんなわけで今回は『スタンド・バイ・ミー』。
この映画はこれまで何度もテレビでやっているので今まで観る機会はあったのだが、いつだったか「この映画には嘔吐シーンがある」というのをどこかで耳にして、嘔吐シーンが大の苦手な自分はその一言だけで観るのを躊躇してしまっていた。

それもこの機会に乗り越えようと、今回意を決して観てみた。
問題のシーンはかなりデフォルメしてあることもあり、想像していたほどダメージを受けることはなく安心した。
しかしまあ趣味がいいとはとても言えず、物語にも直接関係あるシーンではないので、自分のように苦手な人はそのシーンは特に観る必要はない。

そのシーンさえ除けば、12歳の子供の友情と親や兄弟との家族関係を描いたとても素晴らしい映画。
こんな風に大切な友達たちとくだらない下ネタで盛り上がりながら人生に一度だけの大冒険をするというのは、特に男子諸君にとっては誰しもがこんな経験があるし、たとえようもなく大切な甘酸っぱく胸を締め付けられるような忘れてしまった思い出だろう。
4人のキャラもそれぞれ際立っていてとてもよくできている。
クリスはかっこいいねぇ。こんな感じの頼りがいのある奴必ずいたよな〜。

この映画を子供の頃に観ていたらその後の自分の学校生活も少しは変わっていたかな?と残念な気もする、このかけがえのない時間の価値は渦中にいたらきっと解らず、大人になって失ってしまって初めて気がつくものなのかもしれない。

いつかまた観てみたい映画になった。
例のシーンは飛ばして。