チェリーの音楽幕府

音楽の話題が多いと見せかけてそうでもない

『ウマ娘 プリティーダービー』

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ウマ娘』第1話から観始めた。競走馬を擬人化する漫画は昔からあったが、想像以上にぶっ飛んでいてなにこれ面白い!(*゚∀゚)
なにしろ競馬ファンにとっては登場人物(?)はみんなよく知ってる大好きだった名前ばかりだし、きっとそれぞれ性格や脚質なんかが本物の競走馬を反映しているんだろう。そして時系列もメチャクチャだったりするので、これから実際にはありえないような対戦なんかも見られそうで楽しみでならない。
スペ、グラ、エルコン、ウンスなんかと一緒にハルウララが走ってるとかシュールだわ〜😅
キングヘイローはどこにいるんだ?これから出てくるのかな?
 
これが果たして実際の競馬を知らない層にとっても面白いのだろうか?というのが甚だ疑問だが、実際にバカウケしていて昔の本物のレースの動画のアクセスが急増したりしているらしいので、世の中わからないものだ。
かつてのダビスタ現象のようなもんか。
願わくはこれ以上萌え要素が増えないでほしいのだが、それは仕方ないのかな。とりあえず2話目以降も楽しみになった。

『進撃の巨人〜Final Season・前〜』

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進撃の巨人 Final Season』を、現在配信されている第75話まで観終わった。
冒頭は全く舞台が変わり、登場人物も知らない人ばかりで、おまけに絵柄も変わったので、一体何が始まったのかと当惑したが、それがこれまでの世界と徐々に繋がっていく構成の妙にまず唸らされ、とにかく1話1話、1シーン1シーン全てが深く濃厚で一瞬たりとも目を離すことができずにただただひたすら釘付けだった。

物語は当初の人間対巨人の戦いというレベルはとうに超え、家族とは?戦争とは?平和とは?正義とは?国家とは?人種とは?絶望とは?希望とは?神とは?憎悪の果てしない連鎖・・・ありとあらゆる人間の根源的な部分を、綺麗事のポリコレ一切無用の圧倒的な迫力とスケールで心を揺さぶり問いかけてくる。

自分はこれまでアニメはもう一つ苦手だったが、ここまで魂を根こそぎから揺さぶられた作品は初めてだ。

あまりに感動したので、Amazonで原作コミックが最初の3巻が無料で読めるとのことでダウンロードしてみたが、アニメとはまた違った深みと味わいがあり、こちらも本当に素晴らしいとしか言いようがない。
ここまで楽しませてくれたのでこうなったら全巻大人買いしてみたくなる。
全部揃えると1万3千円くらいするのでひるんでいるところだが、これほどの作品を作り上げた作者諫山創氏に感謝と畏敬の意味も込めて、これからの人生において何度も読み返すであろうことを考えると十分にそれだけの価値はあると思う。

アニメの方は「Final Season」というのでこれで終わってしまうかと思ったら、本当のラストはこの冬に公開されるようだ。
そう考えると今までの分を一気に観ることができて、最後の最後だけをリアルタイムで味わえるという、進撃の巨人に出会うには最高にいいタイミングだったのかもしれない。

これから最後のシーズンがスタートするまで、幾度となくこれまでのアニメを見返し、原作コミックを読んで復習して、最後の楽しみに備えていようと思う。

はじめてのスマートウォッチ

腕時計をする習慣がなくなってかれこれもう20年以上経つ。

時間を確認するという動作が携帯電話に取って代わられたことで、それまで腕を拘束していた物がなくなって随分サッパリしたものだが、その反面いちいち携帯電話をポケットやカバンから取り出さなければならない煩わしさも感じていた。

そんな頃にApple Watchが登場し、その後様々なスマートウォッチが発売され、再び腕時計が脚光を浴びるようになってきた。

とはいえApple Watchの機能はあまりにもオーバースペックだし、何マンもするものを腕につける気にはならず、自分には必要ないな〜とずっと思っていた。

それが最近色々な情報が聴こえてきて、もっと安価で機能もシンプルなもの(主に中華製)が増えてきていることを知った。
自分にとって最も必要な機能はウォーキングやサイクリングの際のトラッキング
今まではスマホのアプリでやっていたが、どうも使い勝手が悪かった。
それが手元で簡単に操作できたらいいと思った。

しかし最も気になるのは大きさ。
腕時計をしていた頃から、自分は腕が細いこともあり、ゴツくてやたらと存在感のある男物の時計が好きではなく、いつも盤面の小さな女物の時計を好んでつけていた。
スマートウォッチもできるだけ主張しない小さなものがあればいいなと思っていたら、そういう物は「スマートバンド」と呼ばれていてしっかりジャンルを築いていた。

そんなスマートバンドの中で、最も魅力的だったのがXiaomiのMi Smart Band 5。
自分の必要とする機能は全て備え(しかもその何倍も!)、そのルックスも決して主張することなくスタイリッシュ。
多くのレビューで評判も上々ということでついに買ってしまった。
盤面もたくさんの種類がダウンロードでき、毎日日替わりで気分を変えて楽しめる。
今一番お気に入りはこれ。きゃわい〜💕

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お値段はAmazonで日本語対応版が4,490円。え?安い!!!
この安さならば今後物足りなくなったり新機能が付いたりした場合にも気軽に買い替えやすいではないか。

しかも本体の日本語表示のないグローバル版ならば3000円台で買えるらしい。
実際使ってみるとスマホのアプリはもともと日本語完全対応だし、本体は別に英語でも全然問題ないので、次に買うときは安いグローバル版でもいいかも。

そしてその機能はというと、自分が必要と思っていたレベルよりもはるかにずっとずっと高機能だった!

歩数計はもちろん、心拍を常時モニタリングするだけにとどまらず、消費カロリーやストレス度(!)までチェックしてくれるので、自分の身体の状態を改めて客観的に知ることができるのが面白い。

ウォーキングやサイクリングの際にはたどった経路や速度・心拍数を常にチェック。
ただしGPSの正確さはスマホに依存するのでスマホ次第。
自分のスマホGPSの精度があまりよろしくないので、このとおり時折道を踏み外して湖の上を歩いてしまったりもするが、それは自分と一緒でご愛嬌ということでこれでも必要十分。

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ワークアウトの種類も多岐に渡っているので、毎日ウォーキングする人やジムなどによく行く人には今やスマートウォッチは必須アイテムだろう。

そして一番面白かったのが、毎日の睡眠をしっかりモニタリングしてくれること。
一体どうやって計測しているのかわからないが、睡眠を「深い睡眠」「浅い睡眠」「レム睡眠」「覚醒」の4つに分類して時間軸で表示してくれる。
入眠時刻と起床時刻もかなり正確なので、自分の睡眠の傾向がよく解って非常に興味深い。
毎朝これを見るのが最近の楽しみ。

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そして特筆すべきはバッテリーの持ち。
今のところ機能をフルに使用して8日間もった。
カタログ値では節約モードで14日間らしいが、8日ももつなら機能フルで使った方がいい。
軽くて腕に負担が全くないので基本的に寝る時も含め1日中付けっ放し。
完全防水なので風呂やプールにもそのまま入れる。(まあやらないけれど)
汚れたら丸洗い。
充電は1週間に一回、入浴中にでもすればいいだろう。

今この分野は非常に進化が早いので、今後も上位機種のようにGPSを内蔵したりなどどんどん新機能が出てくるだろう。(ただGPS内蔵だとバッテリー持ちが犠牲になってしまうが…)
今後魅力的な機能が搭載された時には安いのでまた気軽に買い替えることにして、とりあえずは今は4,490円でここまでできたら文句のつけようがない。

これを買ってからというもの、毎日近所を歩くようになった。
今まではヘタすると1週間くらい家から一歩も外に出ないなんてこともよくあったので、これは自分にとってすごい進歩だ。
毎日積極的に身体を動かすことが楽しくなり、日に日に健康になっているのを実感して、買ってよかったと非常に満足している。

『進撃の巨人 Season3』

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進撃の巨人 Season3』を観終わった。
最初の方は絵柄が変わったりギャグ要素を入れてきたりと違和感があったが、段々と単に人間と巨人の戦いだけにとどまらず、「正しき王家の継承者」とか「巨人を操る能力を持つ民族をめぐる争い」みたいな話にスケールが広がって、ますます『ゲームオブスローンズ』っぽくなってきた。
途中やや話が広がりすぎて理解の速度が追いつかないところがあったが、改めてしっかり理解を深めてからは一気にその世界にのめり込んだ。
いや、この作品、凄すぎる。
折りしも現在、Season4が進行中らしく、そこまで間を開けずに一気に観られるいいタイミングだったようだ。
ここまでのめり込んだアニメは自分にとって初めてかもしれない。
さあいよいよSeason4を観始める。
これがファイナルシーズンらしいので楽しみでならない。

『澪つくし』(1985)

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朝ドラアンコール『澪つくし』の再放送が終わった。
本放送当時かなり話題になっていたので何度か観たような気はするが、ストーリーなどはすっかり忘れてしまっていたので、新鮮な気持ちで楽しむことができた。

このドラマの前半は、銚子の老舗醤油屋の妾の子かをると網元の漁師の惣吉が、数々の試練を乗り越えて結ばれる純愛物語。
とにかくこの二人の瑞々しい魅力があまりにも鮮烈で、観ているだけで胸がときめき、キュンキュンが満載。

そこに脚本ジェームス三木による格調高い文学的なナレーションや、味わい深いセリフの連続で、毎回画面に釘付けになってしまった。

中盤以降は突然の惣吉との別れ、野心家番頭梅木との再婚、そしてあっと驚く惣吉の帰還、かをるをめぐる惣吉と梅木との3角関係と、朝ドラ要素だけに飽き足らずのちの昼ドラ要素までも加わる大激動が矢継ぎ早に起き、1日たりとも目が離せない展開が続いた。
さすが大家ジェームス三木の面目躍如だろう。

終盤は激動の渦に生きながらも幸せだったかをるに戦争の運命が襲いかかり、不幸のどん底に叩き落とされる。
かつてこれほど主要人物が戦争で死んだ朝ドラはあっただろうか?

戦争が終わり、そんな不幸から立ち直ろうとするかをると惣吉。
その二人のその後の運命は観るものそれぞれの想像に委ねるラストシーンも、このドラマの余韻をしみじみと味わうことができてとても素晴らしかった。

ジェームス三木の脚本がとにかく素晴らしかったが、それに加えて役者陣の演技がみんなとても魅力的だった。

何といってもヒロインかをる役沢口靖子の誰もが息を飲む可憐さと、竹を割ったような男らしい惣吉役川野太郎の若い二人の魅力が鮮烈な記憶を残してくれた。
惣吉のカッコよさは男でも惚れた。
さぞかし当時の奥様方の涙を振り絞ったことだろう。
結果的に惣吉は一途な初恋を貫き、かをるは家族への愛を貫いたというその対比も見事だった。

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そんな若い二人を取り囲む津川雅彦加賀まりこ鷲尾真知子草笛光子柴田恭兵根岸季衣高品格など、それぞれが本当に印象に残る演技を見せて非常に見応えがあった。

そして何といっても忘れられないのが、かをるの姉律子を演じた桜田淳子
この人はこんなに上手い役者だったのか。
素直になれず本心を伝えることが下手で「新しい女」を強がる、どこか寂しき役どころを見事に演じ切っていた。
この人がその後芸能界を去ることがなければ今頃は沢口靖子と並んで大女優として君臨していたのではないだろうか。
そう思うと残念でならない。

これほどまでに自分の心に深い感動を残したこのドラマ、去年再放送していた『おしん』といい、今この時代に36年前の朝ドラにこんなに感動させられるとは思いもしなかった。

自分にとって『おしん』『てるてる家族』『カーネーション』『あまちゃん』に並ぶ朝ドラの名作となった。

さて『澪つくし』の次の朝ドラアンコールは『あぐり』。
これは本放送当時かなりハマって毎日観ていた。
今観るとどう思うか、それもまた楽しみだ。

大河ドラマ『太平記』(1991)

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NHK大河ドラマアンコール『太平記』の再放送が終わった。

この吉川英治の原作は以前に読んだことがあるが、正直退屈でつまらなかった印象があったので、ドラマではそれをどう料理したのかと興味はあったが、やはり原作の印象を一変させるほどの大転換は難しかったようだ。

原作では主人公足利尊氏の辿った史実的な部分はさておき、藤夜叉という直冬の母という設定の架空の人物との色恋沙汰がとにかくつまらなかったが、それはドラマでも全く同じで、藤夜叉を演じた当時人気絶頂の宮沢りえの演技の拙さも相まって前半はこのパートが退屈極まりなかった。
後半藤夜叉がいなくなって以降は戦や政治的部分の裏切り裏切られがメインになり、俄然面白くなった。

あと気になったのは当時売り出し中の若手を大胆に起用したのはいいのだが、赤井英和陣内孝則柳葉敏郎筒井道隆の演技があまりにもひどくて観るにたえなかった。
そんな若手陣の中、唯一光っていたのは尊氏の弟直義を演じた高嶋政伸
特に尊氏との最後のシーンは本当に素晴らしかった。

もう一人光ったのは北条高時を演じた当時役者としてはまだ未知数だった片岡鶴太郎
本当は闘犬や田楽をして楽しくお気楽に暮らしたかったのに、北条家に生まれてしまったばかりに時代の過酷な運命に翻弄される悲哀を余す所なく見事に表現していた。

若手の起用はあまり上手く行かなかったところはあったが、その分主演の真田広之をはじめ、緒形拳柄本明、大地康夫、武田鉄矢などの重みのある役者陣の演技は素晴らしく、ドラマに重厚さをもたらしてくれた。

前半は正直退屈だったが、後半尻上がりに面白くなっていったこのドラマ。
あまり馴染みのない上に分かりにくかった鎌倉時代末期〜南北朝時代を改めてよく理解することができた。
そして何より、昨今の軽薄短小大河ドラマと比べて重厚感に溢れ見応えがあり、毎回観終わった後の満足感は高かった。
今の大河ドラマもこの頃の重厚感を取り戻してほしいものだ。

7年ぶりの遠征スキー

先週のこと、久しぶりに白馬鹿島槍スキー場に泊まりで行ってきた。
ホームゲレンデふじてん以外のスキー場に遠征するのは実に7年ぶりのこと。

それにあたって今の時期気になるのはやはりコロナ対策。
幸い自宅のある山梨県も目的地の長野県も緊急事態宣言の範囲外であり、ここ最近の陽性者数もゼロの日が多いくらいに落ち着きを見せている。
東京都などに出されている緊急事態宣言の解除が近いとのことで、もし解除されたらどっと人が押し寄せることが予想されるが、その前ならばまだ訪れる人も少ないのではないか。
ということで雪も少なくなってきているし、もう行くとしたら今しかない。

自分なりに色々リスクを考えてみたが、基本的に移動は全て自家用車なので不特定多数との接触の可能性はないので、滞在先で注意しなければならないのは、やはり食事時だろう。
スキー場のレストハウスには行かなければいいが、宿の食事は仕方ない。そこだけが心配。

f:id:ongakubakufu:20210324021226j:plain予約はトラベルインのマイカーツアーで。
ここはネット予約で出発前日まで予約可能なので、天気予報を見ながら予定が組める。
目的地は今まで何度も行っている鹿島槍

ここは宿からゲレンデまで車で20分くらいの移動が必要だが、その分大町温泉郷のちゃんとした温泉ホテルに泊まれるのでとてもお気に入り。
しかも安い!2泊3日でリフト券が3日分付いて16,300円!
とはいえ7年前は12,500円だったのでこれでもかなり値上がりしている。
にしたってこれでいわゆるスキー宿ではなく温泉ホテルに泊まれるのだから、心配になってしなうほど安いことに変わりない。
ちなみにGoToトラベルが健在だったならばもっと安く行けたのだが、まあ仕方ない。

宿のコロナ対策は、全ての人が入館時に検温、あらゆる所にくまなく消毒液と非常に念入り。
風呂場は広いし常に換気扇が全開でフル回転している上に、そもそも空いているので密になることはない。実際広い風呂場はほとんど一人で独占状態だった。
心配だったのは食事だが、テーブル間の距離は取ってあるし、時間をずらす工夫は為されているが、やはりどうしても複数のグループが同時に一室に集まることになる。
もちろん出入り口を全開して換気はしているし、客もちゃんとテーブルに着くまでマスク着用しているし、ホテルからも黙食が推奨されてはいるが、やはりどうしても若い人たちが食べながらとなると会話が盛り上がってしまうのは仕方ない。
もちろん酒を飲んで馬鹿騒ぎする連中はいなかったのでそこは安心したが、あまり食堂に長居することなく早々と部屋に戻った。

旅行中懸念されたのはその場面だけで、あとは感染予防の観点からは特に気になる場面はなく、しっかり対策されていると思った。

さてコロナの話はそのくらいにして、スキーに話を戻そう。

f:id:ongakubakufu:20210324021257j:plain初日にスキー場に到着したのはお昼頃。
久しぶりの広いゲレンデに喜び勇んで出て行ったが、雪質は既にシャリシャリのモコモコで力のいる雪でガッカリ。

久しぶりに太ももがパンパンになってしまった。

2日目は朝10時くらいの滑り出し。
しかし雪質は昨日とは打って変わって柔らかいながらもしっかり板が雪を噛んでとても滑りやすい!
だがそんな喜びも束の間、あっという間に雪は悪化し、お昼頃にはまたしても重雪に変身。
昨日もこういうことだったのか。
おまけに1日雨が降り続き、午後には雪が水を含んで全く走らなくなってしまった。

なので反省して最終日の3日目は頑張って早起きして念願の朝イチ出動!
すると昨日の雨が凍ってカリカリではあるが、しっかり圧雪されてとても滑りやすい。
おまけにそれが10時頃になると適度に緩んで、ターンが自由自在に切れる最高の雪質へ。
最高に気持ちの良い雪をしばらく堪能すると、やはり午後になると重雪になってくるのはもう仕方ない。
今回はカリカリバーンから最高の雪質からシャバシャバの重雪まで、あらゆる雪質を経験することができた。
これも春スキーならではであろう。

7年ぶりの広いゲレンデと最高の眺望はとても楽しかった。
お客さんは以前に来た時と比べて半分以下に減っていて、リフト待ちゼロで快適ではあったが、経営が心配になる程だった。
来年も是非また遠征してみたいと思った。
来年はコロナが落ち着いているといいな〜。

 

『双葉山の邪宗門』「璽光尊事件」と昭和の角聖 / 加藤 康男

人生も折り返し点をとうに過ぎ、これからの緩やかな終活として少しずつ身の回りから物を減らしていかなければならない。
中でも自分の持ち物で最も場所を取っているのが本であり、どんどん処分していかなければならないがこれが中々減らせない。
少なくとももうこれ以上は増やしたくないので、数年前から新たに紙の本を買うことは極力止め、ほとんど電子書籍で買うことにしている。
手に取った本の重みや匂いなどの実感はないのが寂しいが、いずれはそれも単なるノスタルジーになっていくのだろう。慣れればとても便利で読みやすく快適だ。
この本も電子書籍で購入した。

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 昭和22年、世間を騒がせた璽光尊事件。
終戦後まもなく雨後の筍のように乱立した新興宗教の中でもとりわけ璽光尊が世の耳目を集めたのは、そこに引退したばかりの大横綱双葉山と、囲碁呉清源という当時の国民的英雄が揃っていたから。

しかしその後二人とも璽光尊のもとを去り、それぞれ元の相撲と囲碁の世界に戻り、双葉山相撲協会理事長にまで上り詰めたことで璽光尊事件は社会的になかったこととされ、世間からもいつしかすっかり忘れ去られてしまった。

自分は双葉山が好きなので(もちろん実際には知らないけれど)この事件のことは個人的に興味はあったが、なにぶん戦後の混乱期のことでもあり、今となっては謎も多く、これまでほとんど語られることがなかった。

そんなすっかり世間から忘れ去られた璽光尊事件から73年経ち、改めて当時とその後の資料にあたり書かれたこの本。
興味はあったが、あまりにも昔の話ゆえに雲を掴むような曖昧なことしか知らなかった自分にとっては待望の貴重な記録で、非常に興味深く面白く読んだ。

 読んでみて新たに知ることが多かった。
当時大きく取り上げられた璽光尊事件であるが、その実態は戦後乱立した新興宗教の中でもとりわけ突出したものではなく、「事件」と言ってもその罪状は、のちのオウム真理教のようなテロ行為を企てるなど大それたものではなくごく軽微なものだった。

しかし引退したばかりとは言え国民的大英雄であった双葉山の存在があまりにも大きく、影響力もあったので、とにかく双葉山を璽光尊から引き離す為に警察が新聞社と図って大捕物を仕立て上げた、というのが本当のところのようだ。
実際璽光尊幹部は皆すぐに釈放されているし、大幹部であったはずの双葉山に至っては全くお咎めなし。

ではなぜ戦後このような新興宗教が林立したかというと、そもそも洗脳というのは、まず対象の人格やそれまで持っていた価値観を徹底的に否定し叩き潰し、まっさらな虚脱状態になったところに新たな価値観を植え付ける、というのが常套手段。
まさに時代は長い戦争が終わり、天皇人間宣言をしたことでそれまでの日本人の価値観がひっくり返り打ちひしがれているところで、いわば全ての日本人が洗脳を簡単に受け入れやすい状態になっていた。
GHQが戦前の体制や価値観をひとまとめにいわゆる「軍国主義」と称して全否定することでそんな虚脱状態を作り上げ、日本人に新たな「民主主義」という価値観を巧妙に植え付けたのは有名な話。 

 そんな中、特に双葉山はもともと信心深い上に彼の相撲人生そのものが、満州事変の年に入幕し、2.26事件の年に初優勝し、終戦とほぼ同時に引退と、大日本帝国の盛衰と奇妙なほどにシンクロしている。
そんな精神的支柱を全て失った状態の彼が「我こそが天皇」と嘯く璽光尊になびくのは赤子の手を捻るように簡単なことだったのかもしれない。

双葉山の邪宗門: 「璽光尊事件」と昭和の角聖

双葉山の邪宗門: 「璽光尊事件」と昭和の角聖

 

 

 

10年目の3.11

あれから10年が経った。

東日本大震災。あの出来事は自分の人生においてそれまでの価値観を全てひっくり返し、それ以前とそれ以後の自分の人生を大転換させた。

それまでの自分は、自分をなんとか世間に認めてほしいといういわば承認欲求の塊だった。
別の言い方をすれば、自分の人生の価値を他人の評価に委ねていたと言ってもいいだろう。
その為には会いたくない人にも会いに行き、酒が一滴も飲めないくせに行きたくない飲み会にも参加し苦痛に耐えた。
それが認められたい自分にとって必要なことだと思い込んでいた。

しかし若い頃は愚かにも気がつかなかったが、歳をとるにつれその自分の強い承認欲求と実際の自分の才能とのギャップの開きに否応なしに気づかされ、叩きのめされるばかりになっていた。
いつしかあんなに好きだった音楽が、世間に自分を認めさせるための手段になってしまっていた。
しかしそれでも「自分には音楽しかない」という思い込み、いや執着と言っていい、それに縋ってただただやっとこさっとこ生きながらえていたところにやってきたのがあの2011年3月11日の大震災。

あの日、自分の住んでいた埼玉でも地震の揺れそのものはもちろんこれまで体験したことのない強いものだったが、それ以上にその後テレビに映し出される津波の映像が衝撃的だった。
今まさに画面の中で家や人や車が圧倒的な自然の脅威の力でなす術もなく流されていくのを、ただただ眺めることしかできない無力さと絶望感。

それだけでも人生観を変えるには十分な出来事であったが、その半年後、実際に被災地を巡って実際の光景を目の当たりにすると、その時の感覚はあくまでテレビの中の出来事でしかなかったんだということを思い知らされた。

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震災後半年経ってはいたが、まだまだあちこちに瓦礫が散らばり、横倒しになった建物やぺちゃんこに潰れた車などがあちこちに転がり、途方もない瓦礫の山がどこまでも果てしなく続いていた。
それは廃墟、いや廃墟ですらなく、街が丸ごと消滅してしまった荒野のようであった。
ついこの間までそこには人々が暮らしを営み、大勢の人々が笑い、温かい家庭と生活に溢れる活気ある街だったことが全く想像すらできないほどであった。

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 しかもそんな光景は一つの街に限らず、海沿いの道を車を走らせていると次から次へと目前に現れ、三陸沿岸のほとんどの街が壊滅的な被害を被っていた。

目で見た光景と同時に、この時感じた誰も人影の見当たらない街の不気味な静けさ、瓦礫を片付ける重機の音、そしてあの独特の何とも言えない「におい」は一生忘れない。

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毎日当たり前のようにやってくる日常、楽しいことも辛いことも毎日過ぎていくことに何の疑問も持っていなかった。
しかしそんな当たり前の日常が、ある日突然圧倒的な力で奪い取られ、当たり前にあった生活が一瞬にして失われるということを、震災からこの旅を経てまざまざと思い知らされた。

自分にもいつそんな日が突然訪れるかもわからない。
自分はその瞬間に、一体何を思うのか。
これまでの人生を後悔することなく感謝の気持ちで終えることができるだろうか。

そんなことを帰ってから何日も考え続けるうちに、これまでの自分の人生の価値を他人の評価に委ねていた生き方が突然馬鹿馬鹿しくなってきた。
いつ人生が終わっても後悔しないように、これからは自分の人生を自分で楽しもう。
人生の価値観の大転換だった。

その3年後にしがらみの多い生まれ育った東京を離れ、富士山の麓に移住を決行した。
若い頃から「歳を取ったら富士山の近くに住みたい」というのはぼんやりと考えてはいたが、それを20年ほど前倒しにした。
ここなら毎日大好きだった雄大な富士山を眺めて生きることができるし、誰も自分のことを知らないので誰にも会わずに生涯の伴侶と二人きりで暮らせるし、こちらで新たな人間関係を築くこともできる。
そして何より他人に評価されたい為にではなく、これからは純粋に自分のために音楽を作ることができる。

実際こちらに来てからは、これまでのように他人の言葉や評価を全く気にすることがなくなり、心の重圧やストレスからは見事に綺麗さっぱり解放された。
あの長い間思い悩んでいた日々は何だったのか。

人生の終わりが突然訪れても、その瞬間に一片の後悔なく笑顔で「あー面白かった」と言えるように。
これからそれに向けてまだまだ準備を整えていきたい。

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雑誌文化の終焉

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雑誌500誌以上が読み放題になる楽天マガジンが、年額3,600円のところ半額の1,800円というキャンペーンをやっていたので、月額にして150円で1年間読み放題ならこの機会に試してみるか、と入ってみた。

自分にとって雑誌といえば若い頃はビックリハウスに宝島、週刊プレイボーイミュージックマガジン、鉄道ファンに週刊ギャロップあたりをよく読んでいたが、そういえばこの20年くらいほとんど読まなくなっていたので、久しぶりに雑誌の世界を楽しんでみようと思った。

まず最初に眺めてみたのがいわゆる社会ゴシップ系週刊誌。
しかしこれがヒドイもんだった。
そのほとんどが芸能人や社会的地位のある人の「正義の告発」を気取ったスキャンダルやこき下ろしで読む者のルサンチマンをひたすら掻き立てて煽るだけで、そこにあるのはただただ憎悪と嫉妬だけで読んでいて気持ちが荒んでくる。
きっとかつて昭和のおっさん(自分もそうだが)たちはこういう記事でエラそうな人たちがコテンパに叩かれて引き摺り下ろされるのを見て「ざまぁみろ!」と溜飲を下げていたのだろうが、今の時代の若い人たちにこういう前時代的な手法はもう通じないだろう。

気を取り直して他を眺めてみると、昨今のキャンプブームでキャンプ記事が目についた。
これは主にいわゆる男性ライフスタイル誌なのだが、そのほとんどが「周囲と差をつける男の選び抜かれた羨望のこだわりギア」みたいな昭和のおっさんの優越感をくすぐるような記事ばかりで、自分には全く興味が湧かない。
キャンプに行ってまでいちいち周囲のことなんて気にしないし、自分の好きなように必要最小限の道具で楽しみたい。

昔はこうして雑誌がライフスタイルを提唱して人々がこぞってそれに乗ることで流行を生み、経済を動かす原動力になっていたのだろうが、今の時代は自分のライフスタイルなんて雑誌に決めてもらわなくても自分の好きなように生きる。もう大きなお世話だ。

そうなるとあとはもう読みたいのは趣味系の雑誌だけになってしまう。
しかし自分が読みたかった「鉄道ファン」や「相撲」はここにはない(ライバルのdマガジンにはあるのに!)ので、ここで読みたいものといったら週刊Gallopくらい。

とはいえ自分にとっては月額150円で週刊Gallopが読めるならそれだけで十分に価値はあるので、しばらくはGallop目当てのみで継続しようと思う。

それにしても雑誌が売れない時代というが、こうしてみるとそれも時代の必然なのだということを実感してしまう。
かつては時代をリードした紙の雑誌も、今の時代ではその価値は地に落ちつつある。
こうしたネットの雑誌読み放題サービスにしても、紙の雑誌のレイアウトのままでパソコンやスマホでは非常に読みにくいので、この時代の切り替わり時のみの徒花的形態であり、その後はいずれ別の形に取って代わることになるであろう。

これから古き新聞、雑誌の時代が終わり、どんな新しいメディアの時代が訪れるのか。
昭和のおっさんには中々想像が難しい。